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DAU. 退行の教授のレビュー・感想・評価

DAU. 退行(2020年製作の映画)
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劇場ではさすがに体力がもたないと、勝手に憶測して保留していたが、配信になったので、3日に分けて観た。

とりあえず映画作品としてはかなり優れていると感じる。
長尺ながら、退屈に感じるところは皆無。チャプターごとに分けて観れば、ひとつひとつ退屈に思われがちな会話劇は、前作(?)である「ナターシャ」同様しっかりと意味を持っている。

扇状的な予告編に損なうことなくショッキングな内容であることは事実なのだが、その衝撃を実に緊迫感を持って描写していく「空気感」の作り込みや、悍ましい出来事への布石としての「日常」の描写は、その生活そのものが牛耳られている「閉塞感」をしっかり表現している。

世界中の「科学」の粋を集めた「研究所」での「崇高」な理念の追求。
知性がシステムと結合し、理念に支配された時、自ずと人間性の否定に結びつく。
理念の正しさに追いつけない「人間」が、その正しさに追い詰められていく「民衆」と、アジッポ所長(ウラジミール・アジッポ)をはじめとした「体制側」の目指す秩序も「理念」に辻褄を合わせる為に暴力的に機能しているだけ、という構造は、現実の社会構造とまるで同じ。
表向きの政治体制が、言語的な意味で違うだけで日本も例外ではないので、とにかく恐ろしさしかない。

構造としての「村八分」や「優生思想」、倫理観を「統治」によって回収されることは、権力に暴力を容認してしまう危うさ。
その抑圧からの解放として、いわゆる「破廉恥」な行為を生み、野放図の「自由」に対して発動する「秩序」によって萎縮効果を生み、最終的には「粛清」されるという姿を「空気の変遷」として見せる為に、この膨大な予算の投入と、制作期間、そしてその割に延々と繰り返される酩酊と錯乱と不貞のシーンの羅列による「不穏」な時間を描写する為に存在している。

そして時折挟み込まれたショッキングさの「点」が線になり、欲望に忠実で、享楽的にも見えた科学者たちや食堂の従業員たちは、威圧され蹂躙された結果、より凶悪で実は白痴で無垢な兵士たちによって粛清される。
頽廃的な「自由」にうんざりしながら、より凶悪な秩序の発動こそが一番狂気的である構造を浮かび上がらせる作劇、演出は見事。
前作同様「奇妙さ」を湛えた作品かと思いきや、しっかりと壮大さも持った地に足についた映画で改めて驚いた。
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