Mariko

ペルシャン・レッスン 戦場の教室のMarikoのレビュー・感想・評価

4.1
もっとハラハラドキドキものだと思っていたのだけど(いや、ものすごい緊張感でハラハラするけれど…)案外淡々としていて、観ているあいだは、プロットとしては最高だけどドラマとしておもしろいかなあこれ、という印象だった。
その要因のひとつは、主人公の感情がほぼ表に出ないこと。実在の言語だってド忘れすることがあるのに、命懸けの「レザ」が「ことば」が出ずに狼狽することが殆どない。逆にそれが緊張感を高めているとも言えるし、サスペンス方向の描写がほとんどないので、そういう意図と思われる。

それゆえ、クラウスが「レザ」を特別な存在として扱っても、レザの側からすると「コッホ大尉」は最後まで生き延びるために接している相手、という解釈しか存在しなくて、一般的にこういうストーリーに見られる関係性の変化や感情の揺れ動きみたいなものが見られないことが興味深い。
これは、冷静に考えるとナチスのそういう描き方なのか、とは後から思ったこと。
上級将校にはじまって、SSの面々が皆ものすごく普通の(猥雑な)社会人的営みを見せる傍ら、当たり前のこととして虐殺を繰り返す。
クラウスも、レザとのやりとりの中で温かい人間味みたいなものを垣間見せたりするけれど、収容所でのナチスの所業に本来自分は加担したくないというような描写もない。そしてレザからも「殺人集団のひとり」でしかない、と評され、二人のあいだに特別な絆が生まれたりはせず、つまりナチスはどこまでもナチスであり、ユダヤ人とのあいだにある深い溝は何があってもなくなることはない、という話かと。

そして、その淡々とした運びのラストでジル(レザ)が収容所で処刑された数千人の名前をポツリポツリと挙げていくところで、自分でも意外なことに落涙。彼の、自分だけ生き延びてしまったことに対する罪の意識への共感、これまでも度々目にしてきたナチスの所業への非難、またそういったいろいろが渦巻いた結果なのか、いずれにせよ胸に迫るものがあったことは間違いない。ホロコーストものは結構観ているけれど、この観点は今まで観たことがない。

ジル(レザ)役のナウエル・ペレ・ビスカヤー、なんと『天国でまた会おう』の彼か!これ、あの映画とすごく同じ部類に入るわ...。
Mariko

Mariko