てっちゃん

ペルシャン・レッスン 戦場の教室のてっちゃんのレビュー・感想・評価

4.0
とある方から、これ観とかないといかんですよと強くおすすめされたこともあるし、単純に好みな雰囲気を感じたこともあるので、劇場へ足を運びました。

鑑賞したのは1ヵ月以上前、、、更新していくのが段々と遅れていく今日この頃。
そんな熟成された駄文レビューに今年はなっていきそうな気配。
そんなことはどうでもよくて本題です。

無知な私なので、本作の舞台であるナチスによるホロコーストについては、存じ上げないことも多いのですが、本作みたいな忠実に当時の時代背景を調査して作り上げた作品というものは、それだけで観る価値があるもんですねと思うわけです。

印象的だったのは、本作観賞後に思ったことと、本作パンフを読み込んだ後では印象が変わるということ。

というのも、正直に言うと本作鑑賞後に思ったことは、
「よかった、、よかった作品だったんだけど、なんだこの心残りは?」ということ。
もう少し掘り下げて考えてみたら、おそらく「こうなって欲しいな」通りに話が進んでいったのと、「主人公2人がとても大きな存在感(そりゃこの2人をメインにした話だから当然のことだけど)すぎてよそ見ができなかった」ということ。

これが正体だったのだろうかなと思うのは、それくらいしか欠点がないくらいに贅沢な作品だったわけです。
つまりは個人の感想であり、次回観たときは変わるだろうし、そういった楽しみ方ができるのも映画ですよねって感じるわけですね。

パンフを読み込んでいくと、時代背景にというよりかは、作品内背景にスポットを当てているような印象でした。
なので私みたいな人が、パンフを読むと少し考えが変わるかもしれないので、それがパンフの魅力ってことですよね。

さて本作のテーマは”記憶”であることは言うまでもないです。
記憶が様々に形態を変えていきます。
それは時代を超えることも可能であり、人から人への結びつきすら可能であります。

特に私が印象に残った記憶のシーンは、コッホが偽りのペルシャ語を学び、それを”記憶”し、最後には詩を読むまでになっていること。

偽りではあるものの、コッホの読んだ詩は詩であり、それは”記憶”の欠片でもあり、集合体でもあるのだ。
”記憶”が集まると、新たな可能性や誰かの救いになるわけだ。
それが顕著に出るのは終盤のシーンであることは明白です。

このシーンを観て、私の腐りかけて腐敗臭すらする記憶力が大変疎ましく感じてしまいました。
己の小ささに笑ってしまいました。

この状況下に自分が置かれたら、どうするだろう?と考えると、絶望しかありません。
絶望は嫌いです。戦争はだめです。その準備をするなんてだめです。それを理由に国民生活を苦しめるなんてだめです。

役者さんの皆さんも大変に素晴らしかったです。
つくりこみ方も素晴らしかったです。
小学校の映像教材としても使用して欲しいし、本作みたいな作品を今こそ、もっと取り上げるべきだと思いました。
てっちゃん

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