河

みんなのヴァカンスの河のレビュー・感想・評価

みんなのヴァカンス(2020年製作の映画)
3.6
微妙だった... 無垢で寛容な童貞、女を奪う男、仲良さそうに見えて男絡みで反目する女性2人組、この監督の映画に出てくる登場人物、大体パターン同じで捉え方も一面的な印象。で、童貞はその寛容さによって報われ成長するっていう。

人間の性を描きつつもロメールとかルノワールのように嫌な部分まで徹底的に描くわけでもなく、ジャックロジエのように展開の突き抜けた気持ちよさがあるわけでもない。

逆にその描き込みの浅さが予定調和的で割とストレスのない展開に繋がっていて、この監督の映画の、ふんわりと滑稽で優しいような気持ちよさはそこから来ているもののようにも思う。

30-60分くらいの尺に適した描き込みな感覚もあって、だからこそ短編は面白いし、その一面的な人物造形が『7月の物語』2部の国際社会の終わりを人間関係の崩壊によって比喩的に描くことに適していたってことなのかもしれない。

ドキュメンタリーである『勇者たちの休息』も雰囲気だけを撮って、その雰囲気を晒し出す元である何かが掴めてないような感覚があって、それも同じことが根っこにある気がする。

てか『勇者たちの休息』は『女っ気なし』とほとんど同じ映画で、前者が他を全て捨ててロードバイクに打ち込む男が精神世界で報われた(ように見える)映画で、後者が寛容さ、その童貞性を貫いた男が一晩限り報われる(それが夢だったとも見れる)映画だから、描きたいのはそこなのかもしれない。

ヴァカンス映画は、別世界で過ごして戻ってくることによる何か変化したかもしれない感覚と、ヴァカンス自体は来年もまた繰り返されるものであるっていう、何かが変わった感慨と繰り返される感覚が同居してるところに良さがある気がしていて、それは何か性質、信念を変化させずに来た男が報われて成長したように見えるし、変化せず繰り返していくようにも見えるというこの監督の作家性と一致するからこそ選ばれている舞台設定なのかもと思った。

これはヴァカンスが労働者のなつやすみになるからで、労働者以外がヴァカンスに出る場合は今後も繰り返されるというニュアンスがなくなる。『海辺のポーリーヌ』や『アドゥー・フィリピーヌ』は他のヴァカンス映画と違う結末に行き着く。

『みんなのヴァカンス』は3人のモテない男の話で、無垢で寛容な2人は片方が報われて、片方が成長する。1人はこれからも同じことを繰り返していくことが明示されて終わる。だからこの映画も『女っ気なし』や『勇者たちの休息』と同じことを描いた映画なんだと思う。

また、『勇者たちの休息』でロードバイクでアルプスを越えることが時代錯誤であると同時に人間の本質に迫る行為と言われているのは、監督にとって無垢で寛容な童貞という登場人物についても同じことを言おうとしているのではないかと思う

自己投影、その救済のためにこういう人物を描いているように思っていたけど、そうではなくてこれは、監督にとってのムイシュキン公爵、理想の在り方を探求する結果生み出された人物達なのかもしれない。

それに対する現実の人物達は関係性の維持を優先するからこそ現実に不満を持っていて、その解消の機会(無垢な男の登場)を与えられることで欲求を選ぶようになり、関係性が崩れる。『7月の物語』の1部は無垢な人物像のように見えた男が実はそうじゃなかったというオチがつく。
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