ay

リトル・ガールのayのレビュー・感想・評価

リトル・ガール(2020年製作の映画)
3.0
2歳半から3歳で性別違和を自認して4歳で女の子になりたいと口にするようになったサシャが、7歳のときのドキュメンタリー。 

監督のセバスチャン・リフシッツは、前作の「思春期 彼女たちの選択」というドキュメンタリーが、フランスの地方都市に暮らす少女2人の5年間の成長をデリカシーを保ちながら静かにとらえていてとてもよかった。

でも「リトル・ガール」には、ただ「よいドキュメンタリーだったな」とはいいにくい、こみいった面があるように思った。
ひとつは、サシャとその家族の生活を乱さないよう配慮したのか、撮影許可がおりなかったのか、学校側の人物の真正面からのインタビューがなかったこと。学校に批判的な母親の語りが前面に出てた。

そして、撮影当時7歳だったサシャに自分の何を撮られているかの自覚が本当にあったのかなという疑問が、最後まで消えなかった。
”社会的な望ましさ”は大人にとっての常識で、子どもにとっての常識じゃない。子どものほうが"平等であること"に無意識的に敏感なんだけど、自分が何をなぜ行っているかについての洗練された答えを導き出すには、子どもには学習や経験や記憶がまだ足りてない。どんなに聡明な子だったとしても、当時のサシャの年齢で、自分で自分の本当の考えや気持ちを自認するあるいは推論することは難しかったんじゃないかという見方は、一般的にも成り立つんじゃないかと思った。カメラの存在が、早く人生を決定しなくちゃという切迫感を過度に呼び覚ますとしたら?
ちゃんとサシャに伝わってたんだろうか。サシャがドキュメンタリーのなかで語ったこと、その反響はサシャのなかでいつまでも続くんだということが。

これからの時代の子どもは、AIやロボットとの共生に違和感を抱かずに育って、今までの世代とはまったく違う感性を宿した存在になっていくんだろう。子どもの発達段階のとらえかたも、いずれは、新しい基準に置き換わるのかもしれない。子どもが自分自身を知るよりもはるかに自分のことを知って意思を代弁してくれるAIのメンターと、早期からいい友だち関係を築くなんてことも、普通に起こりえるのかもしれない。ただ、そのAIメンターがどんなに信頼できたとしても、AIメンターの決定がどこから来ていてその子の人生にどんな影響を生むか、子どもは本当には知ることができない。

ドキュメンタリーのなかで子どもだったサシャが語ったことばは、サシャが成長していくなかで、サシャ自身の価値観を形づくることにもなるんだろう。
ay

ay