ーcoyolyー

リトル・ガールのーcoyolyーのレビュー・感想・評価

リトル・ガール(2020年製作の映画)
4.3
夢。ドビュッシーの『夢』。彼女のライトモチーフとしての。素晴らしいな。

私最初これ普通にフィクションの映画だと思っていて、だって『ザ・ノンフィクション』的な汚さがどこにも見当たらないんですよ。ドキュメンタリーにつきものの。日曜の午後、競馬中継までの間に視聴者をグッタリさせるような汚さが。カメラワークも語り口も被写体への接し方も夢のような美しさで。全くドキュメンタリーの定型であるギトギトした文体が見当たらない。ここまでフィクションみたいに綺麗に撮れるものなのか?と困惑する。カメラが入っているのに全てが自然で美しい。まるで作り物のように。登場人物全てが役者のように見えてしまう。全員の醸し出す雰囲気が統一されていて演出されてないのが不思議な感じ。監督というか撮影者が相当被写体に信頼されてないとこうはならないので信頼関係築くことに相当粉骨砕身したんだと思う。

現実に存在する汚いものは出てこない。彼女に女の子の服を着せてはならないと強要した学校側の人間や彼女を教室から追い出したロシア人のバレエ教師のような。そして学校側に強制されたので仕方なく女の子の服を着ていない彼女の姿もまた極力映さないようにしているし、映っていたとしてもそれをそう気づかせないような配慮したカメラワークになっている。

アライとして家族に認められた人がこの映画を撮っている。この家族はむしろこのカメラが入ることで安心している。この人たちがそう思えるまで彼はこの家族を支えてきたからだ。彼がついているからこそ勇気を出して理解のない社会に語りかけることができた、「お願い、そこで見ていて」と。そういうものが伝わってくる。

あの場末の中華料理屋のようなギトギトした油で塗り固めたようなドキュメンタリーだけではなく、こういうドキュメンタリーが増えたら良いなと思う。世界を美しく彩るドキュメンタリー。彼女が思春期に入った時に見返してその美しさで勇気づけられるような。彼女の人生に寄り添うために必要な美しさ。フィクションではなくノンフィクションだからこそ、この夢のような美しさが力を持つ。こういう大人の視線、大人の役割、皆もっと目覚めると良い。
ーcoyolyー

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