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This Is My Desire(英題)のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

This Is My Desire(英題)(2020年製作の映画)
3.8
【スパゲッティコード(物理)を保守する男の悲哀】
ナイジェリアの映画評論家Wilfred Okicheが"NETFLIX ISN’T THE SAVIOR NOLLYWOOD NEEDS"の中で紹介していた『EYIMOFE(THIS IS MY DESIRE)』を観た。本作はワガドゥグ全アフリカ映画祭コンペティション作品にしてクライテリオンから円盤が発売されたナイジェリア映画である。Netflix配信のナイジェリア映画(通称:ノリウッド作品)は画作りが弱いことが少なくないのだが、本作は印象的なショットが多い作品であった。

本作はエンジニア、特に社内SEやITシステム部、保守など運用できて当然と言われているような技術部門で働いたことのある人にとって涙なくしてみられない作品である。冒頭に映し出される物理的スパゲッティコードが登場人物の一筋縄にはいかない人生を暗示しているわけだが、注目すべきは技術者モフェの生き様だろう。彼は工場で働きながら、複雑怪奇となった電源ボードのメンテナンスをしている。このままでは不味いと思い、マネージャーにリスクを語るが、「あん?明日にでも見ておくわ。帰る。」といって適当にあしらわれてしまう。しかも、彼のことを名前で呼ぶことはあまりなく、「エンジニア」と呼び雑に扱うのだ。それでもって一度、工場が停電になれば怒号が降ってくる。

「お前、なんてことしてくれるんだ。とっとと直せ!」

治したところで感謝すらされず、「エンジニア」と雑に呼ばれ扱われる。これは「動いて当然」としか思われていないインフラに携わる者の宿命といえる哀しさがある。動くのは当然であり、壊れたらエンジニアのせいだと扱われる。修復には技術が必要で複雑怪奇に絡んだ事象をもとに直す必要があるのに、その難しさは理解されない。この悲哀は海を越えた遠いアフリカの地でも変わらないのだ。

この生々しいやりとりは日常的に発生する人生という名のクソゲーにも当てはまり、時間とお金がとにかくかかり消耗するおつかいミッションへと跳ね返っていく。では本作は厭世的な物語なのか?それが違う。地を這うように複雑な迷宮を進んだ中にある、小さな自己実現。この尊さに向かって着地する。この描写に感動するのである。

『ビギニング/Beginning』の撮影監督であるArseni Khachaturanの温かみのある眼差し。Netflix配信のナイジェリア映画ではなかなか観ることのできない市井のナイジェリア。そしてそれらの映画と共通してマネージャーが女性であり、ナイジェリア社会における女性の社会進出の高さがうかがえる描写含めて興味深いものを感じた。
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