現れる小林

大怪獣のあとしまつの現れる小林のレビュー・感想・評価

大怪獣のあとしまつ(2022年製作の映画)
1.5
評判を見て「そんなにひどいことあるか?」と思って見てみたら予想以上に酷かった。普段はなるべく映画の良いところ(もし好きにはなれなくても、すごいと思えるところ)を見つけるようにしており、正直肌に合わなかった場合でもfilmarksの評価は3以上に留める傾向にあるこの私が1.5を付けたのだから相当のものである。

良かったのは一部のシーンのCGぐらいか。ただしそれも、映画の出来に貢献していたわけではない。まああとは、濱田岳やオダギリジョーのキャラの見た目がまあまあ映えていたということぐらい。

期待外れな邦画にありがちな、設定はいいのに予算不足で映像がちゃちくてがっかり、というのとは真逆である。むしろかなりの予算を注ぎ込んで作っている。
これに予算をそんなに注ぎ込むぐらいだったら、何か他の、脚本や骨組みはしっかりしているのに予算不足で映像的に見劣りするような出来になってしまった浮かばれない映画にその分のお金が使われたほうが良かったと心から思う(仕組み的にそんなことは起こらないのは知っているが)。これは何も、制作費をかける価値のない映画だといって貶したいというだけではなく(それも少しはあるが)、この空気感の脚本には無駄にリアルなCGはミスマッチであるということである。

内閣の会議室や軍の施設は一応質感的にはリアルに作ってあるしスケールも大きく見せているのに、そこで繰り広げられる会話やギャグがあまりにちゃちい。この脚本で何とか成立させたいのなら、逆に映像もちゃちくしてコントみたいな低予算ルックにして勢いで乗り切るような感じにしたほうがまだ見れたかもしれない。
これは映画の酷さを強調するために極論を言っているわけではなく結構本気である。もしこの内容を、落書きのような子供っぽい画風の漫画か何かで読んでいたら、変な例えばかりする大臣や、キノコのシーン、怪獣の傷口に環境大臣がハマるシーンとかはここまでの嫌悪感抱くことなく、案外すんなりと受け入れられていたかもしれない。「どうですかね」「どですかでん?」などのギャグも、ああやって見ると寒いこと極まりないが、昔の能天気なギャグ漫画のセリフの中に溶け込んでればそこまで悪目立ちしないかもしれない(そこで面白いとは思わないだろうが)。

そこまで悪くないCGを作る資金と大変豪華なキャストを集めて大風呂敷を広げて期待させておきながら中学生の学年企画のコントのようなセリフや動きが無限に続くので、ギャグを最低限にして真面目にやってくれればまだ面白かったのに、という気持ちを抱いてしまう。理屈で考えるのをやめて頭を空っぽにすれば楽しめるタイプの作品かというとそんなことも全然ない。とにかくシリアスパートはギャグパートのゆるさに引っ張られて甘いし、ギャグパートはギャグパートで絶望的だった。というかパートと言ったが二つがはっきり分かれているわけでもなく、ずっとヌルいままズルズル続くという感じ。正直、この映画の主題である「怪獣の死体を処理する」というメインの目的すら、途中から達成されてもされなくてもどうでもいいや、と思ってしまうほど展開に魅力がなかった。
やはり脚本に致命的な難があり、演じさせられる役者がかわいそうに感じられるシーンすらあった。全ての登場人物のギャグセンが等しく絶望的で、違う人格のはずなのに"同じ人が思いついたセリフ感"が強い。
政府の会議のしょうもなさを風刺するためにわざとつまらないギャグにしている、という言い訳をとってつけたとしても補いきれないレベルである。

制作陣は「客のレベルが低いから高度な狙いが伝わらなかったか〜」というようなことをインタビューで言っていたが、あまり観客をバカにしないほうがいいと思う。なんというか、根本で客をみくびっている態度が、ギャグの安易さ、風刺の意図を含む部分の演出の浅さ、詰めの甘さなど全てに現れてしまっているように思える。

例えば始まって数分、千葉県と茨城県の東部の県境付近に怪獣の死体が倒れていて、半径10kmほどは立ち入り禁止だ、ということをナレーション付きで丁寧に説明した後に何の説明もなく、無人となり荒廃した"渋谷"が映し出される。どういうことなんだ。
映画で、複数の離れた場所で撮影した映像を、同じ場所/ 近い場所であるかのように編集することはよくあるし、それに対して、景色からロケ地を割り出して地理的矛盾を指摘したりするのは普通は野暮なことなのだが、これに関してはそういうレベルではないのだ。
これは千葉や茨城の出来事なのだということをご丁寧に地図まで使って説明した後に、「大盛堂書店」や109、サロンパスの看板やセンター街が映し出されるのだ。こちらの勘違いである可能性も考慮し前後を何回か見返したが、渋谷から人が消える理由はまったく見当たらなかった。
これが海外向けの映画というなら、国内の地理の整合性を求めたところで報われないので、その辺の辻褄は犠牲にして絵面を優先するのは分からなくもないが、どう考えても国内のそこそこ若い層向けの映画でこういうことをしてしまうのは手抜きとしかいいようがない。しかもそれが本当に序盤の序盤なので、映画が始まって少しだけ膨らんでいた期待が開始早々打ち砕かれてしまった。

何で千葉や茨城ではなく、完全安全圏の渋谷が無人なんだ?
雨音(濱田岳)の不倫はどうなった?
今の最後のスローモーションは何かの含みなのか?
このギャグはスベることを予期してねじ込まれているのか?
このキャラクターが上司のギャグで笑うのは上司に忖度してるのか?それとも制作陣の感性の中ではこれは面白いギャグだから作中では自然に周囲が笑うことになっているのか?

など無数の疑問と、まああとはとにかく小ネタのつまらなさに耐えながら115分を過ごすことになる。

時間がなかったりスケジュールの破綻で崩壊したTVエヴァ最終回みたいなタイプとは違い、今作の場合は予算も時間に押しつぶされている様子も特になく割とかっちりと撮られているのに脚本や発想がありえないほど弱いのが、経緯が想像つかず気味が悪いのだ。
この引くほど面白くない1つの親父ギャグをシーンのオチとして成立させるために、何百万もかけてこのセットを組み、数十人のエキストラを呼んだのか!?というような気味の悪さというか。
制作陣が想定していない架空の作為を勝手に見出そうとするタイプの考察が普段は嫌いな私も、今回は「この無駄なシーンに莫大な予算をかけること自体が、有意義に予算を使わない政府への風刺ということなのか?むしろそうであってくれ、じゃないと説明がつかない」と思うほどだった。

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最後に、
この映画と似た要素を持つ映画の中でクオリティがとても高いものとして「26世紀青年(idiocracy)」がある。怪獣は出てこないものの、無能な政府の人々がアホな会話を繰り広げる展開が中枢に据えられている。アメリカ映画なのだが、全ての要素が噛み合って空気感も一貫しており、小ネタも結構面白い。
人間冷凍保存実験のトラブルで26世紀まで放置されてしまった主人公が目覚めると、人類が退化して全員バカになっており、21世紀では平凡だった主人公が天才扱いされ政府の仕事を任されるのだが......というようなストーリー。