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ドント・ルック・アップのJFQのネタバレレビュー・内容・結末

ドント・ルック・アップ(2021年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

確かに「コメディ映画」ではある。ただ、これは「誰にとってのコメディ」かということで。

映画は「極限の現実逃避」を行う人間たちと「極限の現実認識」を行う人間たちが、ともに同じ行動をとってしまうという「おかしさ」にたどりつくまでを描く。

そこに至る過程は楽しんで観られる。けれど観終えた後が問題で。俺は一体どういう顔をすればいいの?と。。自分は笑う側にいるの?と。

…という思わせぶりな前振りはさておき。ストーリーを追っておく。
映画は、アメリカの天文学者(レオナルド・ディカプリオ)とその助手(ジェニファー・ローレンス)が天体望遠鏡で「とある彗星」を見つけたところから幕を開ける。

「彗星」と言えば美しそうだが、大きさは10キロ近く。軌道分析によれば約半年後地球に衝突するという。衝突すれば地球環境は崩壊…。つまりは「地球滅亡」だ。

「これは大変だ!」と、彼らは伝手をたどり米大統領に進言。「このままでは半年後地球は終わります!」と。

けれど、大統領たちの反応は薄い。聞けば選挙を3週間後に控えているという。つまり「こちとら地球の滅亡どころじゃねえんだよ!」と(笑)

愕然とする天文学者たち…。だが、TVに出演し危機を訴えたり、ネットで陰謀論者と討論したりと格闘。何とか危機を世に伝えようと奔走する。

その後、紆余曲折あって、彗星に含まれるレアアースを回収しつつ、小型ドローンで星を30分割させるプランに行きつく。だがしかし…という展開になっている。

このおかしさを考えるには、行動経済学などでよく出される例が役立つ。

①今10万円もらえる/②1か月後10万1000円もらえる 
 さあ、あなたはどっちを選ぶ?というアレだ。

この場合、たいていこんな感じの「解説」がついてくる。
合理的に考えれば、より儲かる②を選ぶはずだと。しかし、多くの人は直感的に①を取るのだと。映画でもA「現在のちょいヤバ問題(選挙戦)」と、B「未来のゲキヤバ問題(彗星衝突)」がある中、人々はAを取っている。いや、映画じゃなくても、今人々はⅠ「現在の政局」と、Ⅱ「未来の気候変動危機」がある中、Ⅰを取っている。

なぜこんなことになるのか?それは「システム2」が作動する前に「システム1」が作動してしまっているからだと。

「システム1(S1)」とはいわば「直感的判断」のことだ。S1は脳に情報が飛び込んでくると自動的に発動。これまでの経験やらを元に「感覚的(ヒューリスティック)」に判断する。これは類人猿時代のある感覚が発達したものだと。例えば草木がカサカサ揺れていると。この時「向こうにいるのは猫か?虫か?」などと考えていてはライオンだった時、やられてしまう。そこで直感的に逃げると。そういう情報処理が進化したものだと。

対して「システム2(S2)」とはいわば「合理的判断」だ。これも類人猿時代のある感覚が発達したものだと。例えば道が2つに分かれていると。片方は乾いていて、片方は湿っていると。そこで1回脳でシミュレーションしてみると。「湿った方に行くと、ぬかるみが広がってて足がハマっちゃうかもな…」とか。そこで論理的に推論して乾いている方に行くと。そういう情報処理が進化したものだと。

そうやって2つの情報処理システムを発達させながら人類は発展してきたのだと。

けれど、そこには問題がある。S1とS2で判断が食い違った時どうするのか?と。

行動経済学の解説本や解説ブログなんかでは「システム1の暴走」で済ませることが多い。つまり、S1は処理力こそ早いが間違いやすい、と。だからS2をしっかり発動させて合理的に考えればうまくいくのだ、と。
さっきの①or②の問いで言えば「ちゃんとS2を働かせせて10万1000円もらいましょうね!」と。映画で言えば、S2を働かせて合理的に危機と向き合えばよかったね、と。

しかし、そうか?自分は「システム2の暴走」もあると思う。
例えばマイケル・サンデル先生の「ハーバード白熱教室」なんかで有名なった「変形トロッコ問題」を考える。先生曰く、ブレーキの壊れた列車が走っていると。前方にはそれに気づかず作業している5人の整備師がいる。曲がると1人の整備師がいると。さあ、どうする?と。

ここで多くの人は「直進して5人死より、曲がって1人死の方がマシじゃね?」と言うと。すると先生は意地悪にもこう付け加える。「じゃあ橋の上に太った男がいる」と。「お前がその男を落とせば列車は止まる」と。「さて太った男を押しますか?」と。

そう言われると「いや、それはそれでちょっと…」となる人が大半だと。
先生の講義は、別の話にそれていく。だが、この時、こういう奴が出てきたらどうか?「合理的に言って5人より1人がマシじゃん!押しますわ!ドーン!」と。

たいていの人は、「こいつヤベえ…」と思うんじゃないか?でも、近年の世の中をみてると、こういう奴もいるっちゃいるんじゃないかと。
「システム2の暴走」で言いたいのは、こういう事だ。

そこで映画は「システム1の暴走」も「システム2の暴走」も描き出す。
まず「システム1の暴走」として描かれるのは、先にも書いた大統領達。

さらにはトランプ信者や、地球平面説信者などをパロったのだろう「ドント・ルック・アップ勢」だ。

彼らは、彗星の衝突など「ないこと」にしてしまう。そんなものはヒステリックな科学者たちが広める陰謀だと。ようは彗星の存在など「直感」できないのだから「ないのと同じ」なのだと。だから「空など見上る必要はない!」のだと。

これは合理的シミュレーションの放棄であり、冒頭に書いた「極限の現実逃避」でもある。

なお、映画の面白いところは彼ら「ドント・ルック・アップ勢」に対抗する「ルック・アップ・スカイ勢」たちも「システム1の暴走」に位置付けているところで。

彼らは、「ルック・アップ・スカイ(空を見ること)」が必要だと言ってチャリティコンサートなんかを開く。そして「失恋の歌」ごとく「彗星衝突」をロマンチックに歌い上げる。集まった聴衆たちもうっとりしながらそれを聴いている…(笑ってしまった)。

彼らも彼らで「うっとり」しているだけだ。合理的な策を練ろうという姿勢はまるでみられない。合理的思考を放棄しているという点では「同じ穴のムジナ」だ。

通常「ドント・ルック・アップ勢=トランプ信者=意識低い系」「ルック・アップ・スカイ勢=民主党支持者=意識高い系」に描き、前者をクサして後者を持ち上げるパターンが多いが、そうなっていない点が面白い。

対して「システム2の暴走」として描かれるのは、スティーブ・ジョブズなのか、イーロン・マスクなのか、ピーター・ティールなのかのパロディとして描かれるIT起業家(マーク・ライランス)だ。

彼は言う。彗星にはレアアースがふんだんに含まれていると。回収すれば人類はさらに豊かになるのだと。それで回収が終われば彗星を小さく30分割すればいいのだと。さすれば地球破滅も避けられると。それが「合理的な結論」だと。

そう唱え、レアアース回収&彗星分割のための小型ドローン兵器数十機を宇宙に向かって放つ。

しかし起業家は「理論的可能性」しかみていない。理論的にはそうかもしれないが「現状、実行可能か?」を見ていない。理屈はそうだけど、現状をみるとムリかもなぁという「現場感覚=直感」を欠落させている。

そのため「ドローン兵器作戦」は、無残な結果に終わる。すると彼は「ちょっとトイレに行く」と言って、そのまま別の宇宙船で、地球から逃げ出してしまうのだった…。

自分を冷凍保存させて数百年を生き延びた後、再び地球に戻れば、自分たちは生き残ることができるのだと。そう言って、大統領含め一部の金持ちだけを連れて地球から飛び去ってしまう。

確かに「合理的に考えれば」そうなんだろう。しかし「こいつヤベえ」という感想しか湧いてこない。「システム2の暴走」がこうして描かれる。

ただ。ここまではフルコースで言えば「前菜」だ。映画の「メインディッシュ」は別のところにある。それはシステム1の判断も、システム2の判断も「詰んだ」時どうするのか?これだ。

実際、主人公の科学者たちも「彗星の接近=地球滅亡」までは認識できている。「極限の現実認識」をしている。だが「では、どうするか?」について「解」を持っていない。

「システム1は暴走し安いが、システム2を発動して熟議すれば人類はよくなる」どころの話ではない。2を発動しようが「解」がないのだから。

一応、映画では「スペースシャトルをぶつけて彗星の軌道をそらす」という「解」らしきものは出している。けれど、それは「インディペンデンス・デイじゃねえんだから(笑)」という脱力感溢れる描写になっている。つまり「有効な手」だとは全く思われていない。

では、「システム1」でも「システム2」でも「解」がないとき人はどうなるか?

映画では「終末の日」の科学者たちを映し出す。彼らは家族と集い、家庭料理に舌鼓を打っている。「やっぱ母さんの料理はうまいね」と。「やっぱ家族団らんっていいよね」と。つまりは、彼らも空を見ていない。皿を見るしかなくなっているのだ…。

「極限の現実逃避」を行う人間たちと「極限の現実認識」を行う人間たちが、ともに同じ行動=「ドント・ルック・アップ」をとるという悲喜劇がここに描かれる。

たしかにその通りだと思う。システム1だろうが、システム2だろうが、「それを発動すれば生き延びられる」という前提に立っている。けれど、それは巨大隕石が1発落ちれば崩れる程度の前提だ。

にもかかわらず、よくもまあ「合理的に考えよう」「いや感性も大事だ」などと喧々諤々してられますね?と(笑)。

自分が宇宙人だったら、そう言って笑うと思う。けれど、そうではない。アイコンはそうだけど(笑)だとしたら、観終えた後、どういう顔をしたらいいんだろうかと。。

自分が、故いかりや長介さんであれば「ダメだこりゃあ」と言ってオトせるのだけど…残念ながらそうでもなく(笑)さて、地球人である自分は、どういう顔をしてみようかなあと……。そんなことを思ったのだった。
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