CANACO

空白のCANACOのレビュー・感想・評価

空白(2021年製作の映画)
3.2
吉田恵輔監督作品を初めて鑑賞。スーパーで万引きした女子中学生が、逃走中に交通事故で死亡する。その中学生を追っていた“万引きされた側”のスーパーの店長は、死亡した中学生の父親から激しく罵倒される。轢いたのは店長ではないが、店長は世間からバッシングを受ける。店長を責め続ける父親と、理不尽さを感じながら謝罪を続ける店長。その二人と彼らを取り巻く人々の物語。

“事件”は2003年1月に起きた川崎市古書店万引き少年逃亡死事件が基になっている。

リアルで暗い日常を延々と映す作品が邦画には多い気がする(偏見かもしれない)。本作もそのカテゴリに入る。パッケージの通り、延々と謝り続ける松坂桃李演じるスーパーの店長と、延々と怒り続ける古田新太演じる父親の映画だ。こんな苦しい時間を長時間見守ることに意味はあるのか、M過ぎないかと思う。

インタビュー記事等をあえて読まず、自分なりにタイトルの『空白』の意味を考えると、「なんにも知らない」だと思う。本作には「私の何を知ってるの」「俺の何を知ってるんだ」「お前に何がわかるんだ」といった苛立ちの憤怒と、「お前何なの」「許せない」という義憤が溢れている。しかし、実は誰も「なんにも知らない」。本当はなんにも知らないのに、家族だから、先生と生徒だから、同じ店員だから、店長と客だから、間接的な加害者と被害者遺族だから、人間同士だから関係を持っているだけだ。

本作に出てくる人たちは皆、魂の奥から皮膚を突き破るほどのアイデンティティはなく、どこかで聞いたような台詞を、役を与えられた大根役者のように話す。実像と言動に乖離がないように見えるのは若手漁師と元嫁くらい。あとは「なんにも知らない」スカスカの関係なので、どのやり取りも上滑りしている。その空白(空虚)を見せる映画だと解釈した。こんな苦しい時間を長時間見せることに意味はあるのかと疑問に思いながら、そう理解した。

圧倒的な不運によって他界した女子中学生。(運転手の責任はさておき)彼女の死の落とし前というか落とし所というか折り合いをどうつけるのかが見せ場になるが、終盤のそのシーンに納得できたのでよかった。「なんにも知らなかったこと」を受け入れたことで、その空白にあたたかい血が流れ込む瞬間だった。

元気がないときに観る作品じゃないが、だからといって元気なときにわざわざ観る必要もない。いつ観るのがおすすめかわからない作品だが、約1時間30分後に流れ込むあたたかい血を感じるために観る。そういう作品が邦画の中には時々あると感じる。
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