JunichiOoya

アイヌモシリのJunichiOoyaのレビュー・感想・評価

アイヌモシリ(2020年製作の映画)
5.0
冒頭、観光船から口琵琶の音色が流れるシーン。てっきりGo To トラベルキャンペーンのプロモーションかと思ったが(冗談です)、さにあらず。そのあとすぐに、彼の地の住民たちがアドリブをふんだんに交えながら台詞を交換する濃密な芝居世界が待っていた。

アイヌの人たちは、観光=経済活動を生活の大部分として「観光地」の真っただ中で暮らし、そこを訪れる「日本人」たちに「日本語、お上手なんですねえ!」と感嘆の声を上げられる存在。それってネイティブアメリカンの暮らしそのままじゃないかしら。
あるいは、観光客を、エイサーや三線で迎える沖縄の人たち・レイとフラで迎えるハワイの人たち・ファイアーダンスで迎えるポリネシアの人たちのそれなんかとも。

立ち位置は少し違うかもしれないが、イヌイットに代表されるエスキモー系諸民族や、チベット仏教に帰依するダラムサラの亡命政府の人たちだって重なることころが多いのかも。

彼らの日常に込められるのは、怨嗟ともいえる深い怒りと哀しみに違いないはずなのだけれど、映画はひたすら淡々とアイヌコタンの日常を切り取って見せてくれる。

主人公の少年カントと母親(実の親子だという)の表情が素敵、もったいぶった「歩くアイヌ精神」たるデボの物言いが素敵。カントのなんとなく脱力したバンド演奏もとてもリアルに見える。

そこから、物語の主題たるイオマンテへのストーリー展開にはいささか強引さも感じるけど、儀式の実施是非を語り合う住民たちの「ことばのリアル」がそれを上書きして、より一層の説得力につなげている。
仔熊を供物として神に捧げる儀式=イオマンテは確かに現在のモラル規範では実施は難しいだろう。ただ、彼らにはその代替物として何らかの自己確認イベントが必要。

というか、「彼ら」ではなくて、そもそも私たち自身個々にこそ、それは求められているのかもしれない。具体的な手応えをもって自己を確認するすべを持たないまま私たちはどんどん寄る辺ない存在へと落ち込んでいっているのだから。

北の国のイオマンテ。それに呼応するのは南の島のイザイホーかとも思った。実現が、復活が、困難なそれらの儀式の代わりに私自身は何をもって自己を把握していけばいいんだろう・・。

ポール・ゴーガンの表現する『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』を北海道出身の福永壮志が彼の「ことば」で言い換えた傑作だと思う。

その福永さんの前作は『リベリアの白い血』。西アフリカからアメリカへ渡った移民のしんどさを描きまくったこれまた傑作。彼の前では日本映画と外国映画、ドキュメンタリーと劇映画なんていう単なることばの使い分けになんの意味も感じない。
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