ラストシーンもさることながら
盲目の娘がおばあちゃんの頬に触れ、涙に気が付くシーンの哀愁が凄まじかった
チャップリンが残した言葉に「喜劇とは距離をおいて人生を見ること、悲劇とはクローズアップされた人生のこと」というものがある
この作品でも笑いはワイドショットで、悲劇はクローズアップで表現されている
また、タイトルである“City Lights”は鮮やかに街を彩る光の集まりとも
ぼんやりとした僅かな光とも解釈できる
このことから、悲劇と喜劇は表裏一体でどこをどの視点から切り取るかによってその解釈は変わってくるものだということに気づかされた
もし、実生活で悲劇に打ちひしがれることがあろうとも
人生という長い物語の全体を捉えることが大切なのかもしれない
序盤の権力者の声がカズーのような音で表現されている点は
庶民の耳には届かないという風刺、トーキーへのアンチテーゼか?