ろく

れいこいるかのろくのレビュー・感想・評価

れいこいるか(2019年製作の映画)
3.8
何か大切なものをなくしてもまだ「人生は続く」。

そうなんだ、映画はドラマチックにその場面場面を映す。ダスティン・ホフマンの「卒業」では劇的に花嫁を奪い去るけど、その後はどうなるのだろう。なんとも不安げな二人を見るとその後は?という気になる。

映画は切り取る。僕らの人生を。でも実際には僕らの人生は線形に続いていく。それこそ、僕らが死ぬまで続く。だから安易な映画では「死」をもってくる。それは切り取られた人生の「その後」を保証するほどの胆力がその映画にないからだ。

翻ってこの映画。れいこは二人の娘だ。彼女は阪神淡路大震災に遭って箪笥につぶされて死んでしまう。でもこの映画はその悲しさではない。それよりもその後のふたりの「親」の人生だ。

二人は離婚し(れいこが原因ではない。離婚の理由はそこまで語らない)。妻の伊智子は何度かの恋愛、離婚を経て人生を続ける。眼も悪くなってしまい、白杖で歩くようになってしまう。一方夫の太助は。ふとしたことでDVの家族を助けるはずが旦那を殺してしまい(そこに殺意はない)そのまま刑務所に入れられる。そして出所する。

23年も経つ。そう、人生はずっと続くんだ。悲しいことも時に忘れる。たまにはどうでもいいこともする。いつまでもれいこをことを思ってしまうほど二人もそして「僕らも」善人ではない(というかほとんど皆同じだろう)。

だけど魚の骨が刺さるみたいに少し喉がイガイガしている。そう、僕らはそのイガイガを悲しいと、寂しいと、思っているんだ。

そして二人はれいこと一緒に行った水族館に行く。そこもドラマチックではない。感情は迸らない。そうだ、迸らせるには時間がたちすぎている。でも少し「寂しくなる」。少しだけわかってほしくなる。それでもわかってもらうのは幻想かもしれない。

決して良い映画でないかもしれない。観ていても「何を見させられている」と言う気持ちにすらなる。でも少しだけ自分の「喉に刺さった骨」を思い出してしまう。自分の。あなたの。

僕も年をとったからだろう。この映画を見て思い出してしまった。何をかって?それは言わないよ。だって皆、この映画を見て思い出すことは違うからだ。
ろく

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