ルサチマ

明日は日本晴れのルサチマのレビュー・感想・評価

明日は日本晴れ(1948年製作の映画)
4.7
バスの移動から始まる冒頭から(たしか窓の外に財布を投げる描写が描かれてたはずだが、初めて大学時代に自分で映画を撮った時に全く同じ描写をしたこもがあるので密かに興奮した)、いかにも清水宏的な主題が繰り広げられる物語に見えたがその後の展開がかなりこれまでの清水宏イメージを覆すもので驚いた。映画前半、バスの中で座席を争って揉めている乗客が示され、コミカルな模様であるからこそ余計、中盤でバスが停車してから続々と乗客が降車し、居残りをする者たちのドラマが前景化することに戸惑いを覚え、全く異なるプロットがいつのまにか稼働していることに気づいた時には時すでに遅し。
ともかく、無銭乗車している人間がいると言い当てる盲目のおじさんが中盤以降のキーパーソンとして登場するのだが、さらにそこに耳の聞こえないおじさんが介入し、バスガールが二人の間に入り、身振りと言葉で通訳するという立ち回りをするのだが、これは例えばロジエの『メーヌ・オセアン』的な手法にも感じられ、清水宏のヌーヴェル・ヴァーグを遥かに先回りした演出に感銘を受ける。同時代的に言えばルノワールの俳優演出とも近しい作家かもしれない。
だが、映画の本筋はあくまでこのバスガールが通訳を買って出てる間に背後でなされる、運転手と、乗客に紛れて過去の彼の恋人が見つめ合う/合わない身振りを交わすやり取りでもなく、とある乗客が語り出す戦争体験の傷跡の記憶を巡るドラマだ。
かつて所属していた舞台で、隊長が下した命令により深い身体的傷を負った男が、偶然同じ乗客の中にその当時の指揮官がいたことを知り、殴りかかる極めてシリアスな色合いのシーン。彼らは結局当時の記憶を共有し合うものの、物語的な都合によって和解するでもなくそれぞれ反対方向に去っていく。トラックに乗せられた片方の男が荷台から停車し続けるバスとその周辺の人々を見送るショットには、全く解放感の伴わない緊張が迸っているように感じられ、これもまた清水宏の前進/後退の移動撮影のイメージとは正反対のものなのだが、寧ろこの緊張を伴う移動撮影に清水宏の演出は賭けられているような気もした。このフィルムがこれほど発見に遅れたことは残念だが、このフィルムの発見と同時代に立ち会えたことはとても貴重なことに思える。
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