くまちゃん

PIG ピッグのくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

PIG ピッグ(2021年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

昨今のニコラス・ケイジはB級からZ級のエキセントリックかつ良くわからない映画への出演が続いていた。ニコラス自身の借金を返済するためだ。
今作は確かに分類的にはB級でありサスペンスであるだろうがスリラーではない。リベンジなどでは断固としてない。
犬の復讐を果たすキアヌ・リーブス。誘拐された娘を奪還するリーアム・ニーソン。彼らは訓練された特殊な武力によって目的を成し遂げようとする。その終着点には死体の山と、観客のエクスタシーのみが残るだろうし、それがリベンジ物の醍醐味でもある。
だが今回はアクションと呼べる娯楽性はない。豚を奪われ、取り返しに行く。ただそれだけのストーリーラインを静謐に詩的に丁寧に描写し、その静けさに嵌まらない顔面騒音なニコラス・ケイジの精微な表情と眼力が作中の退屈な流れに強大な説得力を付帯させている。

ロブは森の奥でトリュフを採取し生計を立てていた。彼はポートランドで著名な料理人であり、妻に先立たれていたことが明かされる。
ドア越しや窓越し、左右縦列駐車に挟まれた道路の真ん中など、枠の中へロブを納めているような構図が度々登場する。
これはロブの孤独を強調し、森という場所、妻が生きていた過去、携帯すら持たないという前時代的な生活、これらは全てロブの閉塞感を際立たせている。ロブは時代に取り残された遺物なのである。

ロブは豚がいなくてもトリュフは取れると語る。ではなぜ豚にこだわるのか?アミールからの問に淡々としかし温かみを込めて応える。可愛がってたんだと。ロブにとってトリュフブタは商売道具以上にペットとして家族として愛着を持って接していた。それは彼の生きがいだったのだろう。自身の自慢の料理を自分以外で食べてくれる存在があったのだから。以前はそこに客がいて妻がいた。今はどちらもいない。

ロブは闇賭博でも名を馳せていた。ロブの登場で空気が変わる。ロブの前に次々と跪き、くしゃくしゃの紙幣をベットする観客たち。単純に有名シェフだからという理屈では説明できないカリスマ性。
殴られても痛みに耐えるロブの姿は全てを失った己を見本とし、物欲に溺れる餓鬼どもを戒めているかのようだ。いや、豚すら守れなかった自分を激しく罰しているのか。

アミールの父ダリウスはレアフードの第一人者だが裏では手段を選ばない非道な一面も持っていた。ロブの豚を奪ったのもダリウスの指示だ。直談判するも金で解決しようとするダリウス。金を受け取るか豚の命を諦めるか選べと。一度引き下がるロブは自分の得意分野での交渉を試みる。かつて、ダリウスとその妻はロブのレストランで食事した。それは2人にとって思い出深い味だ。ロブはプロフェッショナルとして誰にいつどんな料理を提供したのか記憶している。ダリウスとアミール、そしてロブ、テーブルを囲む三人の前にはあの思い出の料理が並んでいた。緊迫した空気が世界を包む。まるで地球上には我々しかいないかのように。緊張を隠せないアミール。対し食事をするロブ。平静を装ってはいるが視線はダリウスが気になるようだ。ついにダリウスは恐る恐る料理を口に運んだ。口内に充満する肉汁とノスタルジー。それを掻き消すかのようにワインを流し込む。しかし味は消えても思い出は流せない。亡き妻への愛が雫となって溢れ出る。
暴力ではない。リベンジスリラーのような雰囲気を醸しながら主人公が一切拳を振るわず、代わりに料理を振る舞う。こんな平和で優しい解決法はここ近年稀に見る。我々は「96時間」以降キレたオヤジの無双アクションに慣れすぎてしまっていたのかもしれない。ロブの手料理は観客の心さえも魅了しアクション映画では味わえない余韻を残した。
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