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アッシャー家の崩壊のhorahukiのレビュー・感想・評価

アッシャー家の崩壊(1948年製作の映画)
3.4
記録です。

ネトフリで配信開始したフラナガンのやつ、映画かと思ってたらドラマだった…。本作は1948年版。忠実には映像化されないのは毎度のことだけど、これの魔改造っぷりは笑った😂まさか婆怖い系ホラーになるなんて!モノクロで荒い画質のためマスクとも素顔とも言えない異様な顔面の迫力がすごい!

『夢の中の恐怖』のような怖い話を語り合う場で、ポーの話が好きなんだーとか言ってオッサンが語り始める内容が本編になるパターン。本編突入前にポーの本を読みながら仲間にサラッと内容紹介するんだけど、その時点で若干原作と違うこと言ってるのでアレ?っと思ってたら本編はガッツリ違うっていう…😂これ“ポーを読み聞かせてる”って設定にしない方が良くない?

ドリンク含めた『断崖』オマージュを取り入れたミステリーとして、表面的物語の不確かさでもってポー原作のあらゆる解釈が可能な性質に沿おうとしているようにも見える。それを下敷きに、犯人を最後まで明確にしないことによる違和感を残したまま幕を閉じさせることでアッシャー家におけるフロイト的解釈を採用したように感じた。

抗うことも出来ずに崩壊していくアッシャー家の観測者として主人公が登場する点は変わらずながら、序盤の段階で主人公は空気と化し、終盤で“ずっと居たよ”ってアピールしてくるから、普通に存在を忘れててあんた誰?ってなった😅

このごそっと抜けてる中盤で婆ホラーが展開するのだけど、頭(と顔面)がおかしくなった婆が先代アッシャーに殺された間男の首(首だけなのにまだ生きてる…笑)と一緒に礼拝堂で暮らしている。首と婆にビビってテンパったのか、丸見えのトラップに自分から凄いスピードでかかりに行く自滅人の勢いが最高だった!

過去に拷問を続けてきたアッシャー家に継承される罰の延長線上として「呪い」を設定し、先代における「マデリン-ロデリック」の関係性を逆転して今作で反復させる意図は面白かった。この点が非常にフロイト的で、原作における窖を礼拝堂に部分的に置き換え、マデリンと婆を世代を超えて同化させる。婆のクライマックスでの行動原理と同化もここに起因していると思う。その逆転と反復を印象付ける礼拝堂への道中の映像がカッコいい!
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