kuu

恋する寄生虫のkuuのレビュー・感想・評価

恋する寄生虫(2021年製作の映画)
3.6
『恋する寄生虫』
製作年 2021年。上映時間 99分。
映倫区分 G
潔癖症に苦しむ孤独な青年と視線恐怖症の不登校女子高生のはかない恋愛を描いた三秋縋の同名小説を原案に、林遣都と小松菜奈で描くラブストーリー。
高坂役を林、佐薙役を小松がそれぞれ演じる。
映画、CM、MVなど数多くの映像作品を手がける映像作家の柿本ケンサクがメガホンをとった。
主題歌は最近よくバラエティにでてるAwichが映画からインスパイアし書き下ろした曲『Parasite in Love』。

極度の潔癖症から誰とも人間関係を築くことができず孤独に生きる青年・高坂賢吾は、視線恐怖症で不登校の少女・佐薙ひじりの面倒を見ることになった。
露悪的な佐薙の態度に閉口する高坂だったが、その言動や行動が自分自身の弱さを隠すためだと気づき、彼女に共感を抱くようになる。
2人はクリスマスに手をつないで歩くことを目標にリハビリをスタートさせる。次第に惹かれ合った2人は初めての恋に落ちていくが……。

今作品は小説の映画化とあるが、『恋する寄生虫』が原作に忠実であったかどうかは、読まない限り何とも云えない。
しかし、独立した映画作品として見ると、意外にも驚かされ、観た方の中には、日常生活では直面しないような現実や疑問に不快感を覚えるかもしれない。
個人的には軽い潔癖症でもあったり、恐らく幻覚の類いやとは思うが、ガキの頃、不可思議なモノをみたり、一時期、人のオーラちゅうか、身体から発するカラーが見えたりした。
超自然的何かを信じられてる人に話すと、それは霊感力が強く、とてもスピリチュアル的な感受性があると羨ましがられたが、見える本人からしたら愉快ではなかった。
故に、高坂と佐薙の見る社会や人がアニメチックとは云え恐ろしげな描写であっても個人的には強ち不自然には感じなかったし、今作品の役者陣、演出、そして、撮影の多くが、このユニークな映画を提供するためにうまく調和していると思いました。
今作品は、愛と感情の完全性、若しくは完璧性かな?
まぁ、映画は主観ではなく客観で、複数人それぞれの視点があって成立してるし完全性でいいかな(完全主義と完璧主義は、一見似ている。学術的には大きな違いはないが、一般的には、完全主義は『客観的』、完璧主義は『主観的』な視点を持っている人と認識されることが多い)、それが本当に我々の頭ん中のモンんか、それとも頭の中の寄生虫によって操作された結果なのかを問いかける。
面白い映像文法と台詞を可能な限り最小限に抑えた今作品は、不快で型破りであり、異なる愛の形、それに伴う欠陥、ひねくれた毒のある暴露を描いてました。
今作品の主役は、社会で拒絶されるような恐怖や恐怖症を抱えているが、お互いの存在を知ったとき、未知の形で受け入れられ、恐怖が軽減された2人の主人公です。
高坂健吾は潔癖症(不潔や汚染に対する絶え間ない恐怖症マイソフォビアの極端な形)の青年。
この恐怖症は厳格な強迫性障害を引き起こし、誰とも関係を築けなくなっている。
一方、佐薙ひじりはスコポフォビア(凝視されることへの過剰な恐怖)を患っている。
因みに、精神医学やと、恐怖の対象をギリシャ語などで『フォビア』の前につけて恐怖症を表す。たとえば、彼らの症状以外には、閉所恐怖は『クラストフォビア』、水への恐怖は『ハイドロフォビア』などがあるかな。
佐薙ひじりの恐怖心は不安と落ち着きの根源であり、そのため彼女は学校に行くことも人と接することも拒んでいる。
この2人の主人公は、かなり不意に、そして、衝撃的な状況下で交差する。
その後、ふたりは徐々に距離を縮めていくが、恋に落ちたとき、それは恋に落ちたふたりの若者というだけでなく、暗黒の予期せぬ秘密を実行に移し、実験する壮大な計画やった。
今作品は、その視覚的文法で長い年月を語っている。
撮影と編集は、映画の中で展開される小ネタから光を奪ったり、うるさくなりすぎたりすることなく、映画全体に散りばめられた微妙なメタファーを際立たせる繊細さで行われている。
主人公たちが直面している困難を観てる側に理解させるために、ある極端な恐怖を誇張して見せるマンガ的な断片が使われているが、それは時に、観てる側と作中の演者との間のギャップを埋める大きな助けとなってた。
今作品はまた、精神障害について、そして精神障害に苦しむ人々やその周囲の人々にどのような影響を与えるかについて論じる入門的な良いフレームでもあるかな。
幼少期のトラウマが子供に永久的かつ不可逆的な痕跡を残すことから、型にはまらず、他人と違うという扱いが、いかに奇形で機能しない者というレッテルを貼るかまで。
kuu

kuu