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秋のドイツのフワッティーのレビュー・感想・評価

秋のドイツ(1978年製作の映画)
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プロローグ、ファスビンダーパート、エピローグのみ鑑賞。

ドイツの秋と呼ばれる一連のテロ事件を受け制作された、学生運動を擁護していた映画人らによるオムニバス作品。

まず、プロローグとエピローグ、それらは異なる「埋葬」が映し出される。前者は重役が参列し、しんみりとした葬式であり、後者は若者が多数集まり、反資本主義に共鳴し、テロリストたちがおくられる様子が映される。

本題のファスビンダーパートについて。全編自身の自宅で撮影、ファスビンダーが本人役で演技、同居人(男性)と実の母をそのままの役で起用、電話をしながらの自慰行為など、すべて生のままで撮られている(ファスビンダー作品は監督自身が投影されまくっているため、新鮮味はないが…)。

作品が作品なため、ファスビンダーの政治的立場が反映されている。

ここで、ファスビンダーと母の対話を一部和訳し抜粋する。

ファスビンダー(以下、フ)「(テロリストとの)議論の余地はある」
母「議論など不可能。民主主義はテロ下において最悪。大衆は民主主義を作らない。大衆はそれが何か理解してこなかったから」
フ「テロは殺人だ!しかしその殺人への特別な法はない!」
母「捕まえて無力化することはできるわ」
フ「本当にそう思っているの?普通の殺人だとそうだろう」
母「誤解してるわ、ライナー」
フ「でも母さんは法は無関係だと言ったろ?」
母「私は憤慨したわ…」

対話の中でもっとも印象的に撮られたシーンは、やはりブチッとカットされたところだろう。ファスビンダーの母にズームアップし、母は「必要なのは…独裁者」と言ってのける。刹那、場面は切り替わる。

ファスビンダー映画では度々テーマに組み込まれてきたことだが、ファスビンダーはその親世代がナチスドイツを支持していたことを強く意識している。母の発言を聞き、あれから親世代の考え方は何も変わってないことに、強いショックを受けただろう。しかし、なおも彼はたった一人の大切な母親を愛し続ける。

そういったファスビンダーのマザコンの面も感じられる、超私的な映画であることは間違いない。本来はテロ事件への思うところを描くというコンセプトだったはすだが、ファスビンダーを理解する上で重要な映画として、非常に価値のある作品であった。

日本語字幕があれば全パート鑑賞するのにな。残念。

メモ:類似作品『鉛の時代』いつか見たい。

追記:フォルカー・シュレンドルフ監督の『延期されたアンティゴネ』も観た。

「ドイツの秋」直後では、『アンティゴネ』の映画版をテレビで放映するのは、内容的によろしくないとテレビ関係者が話し合い、延期が決定する。
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