ともぞう

喜びも悲しみも幾歳月のともぞうのレビュー・感想・評価

喜びも悲しみも幾歳月(1957年製作の映画)
3.0
灯台守という日本の僻地ばかりを巡る転勤族の家族。美しい自然や家族の苦労は窺いしれるもののストーリーとしては淡々とし過ぎて、ちと盛り上がりに欠ける印象だったかな。若い時から初老までを自然に演じる高峰三枝子は素晴らしかった。

〈あらすじ〉
上海事件の昭和7年。新婚早々の若い燈台員有沢四郎ときよ子は、東京湾の観音崎燈台に赴任して来た。日本が国際連盟を脱退した年には、四郎たちは雪の涯北海道の石狩燈台へ転任になった。そこできよ子は長女雪野を生み、二年後に長男光太郎を生んだ。昭和12年には波風荒い五島列島の女島燈台に転勤した四郎一家はともすると夫婦喧嘩をすることが多くなった。きよ子は家を出ようと思っても、便船を1週間も待たねばならぬ始末であった。気さくな若い燈台員野津は、そんな燈台でいつも明るく、台長の娘真砂子を恋していたが、真砂子は燈台員のお嫁さんにはならないと野津を困らせた。昭和16年--太平洋戦争の始った年に有沢一家は、佐渡の弾崎燈台に移り、今は有沢も次席さんとよばれる身になっていた。B29が本土に爆音を轟かす昭和20年--有沢たちは御前崎燈台に移り、東京から疎開して来た名取夫人と知合った。まもなく野津といまは彼の良き妻の真砂子が赴任してきた。艦載機の襲撃に幾多の燈台員の尊い命が失われた。戦争が終って、野津夫婦も他の燈台へ転勤になった。それから5年--有沢たちは三重県安乗崎に移った。燈台記念日に祝賀式の終ったあと、美しく成長した雪野と光太郎は、父母に心のこもった贈物をするのであった。やがて雪野は名取家に招かれて東京へ勉強に出ていった。昭和二28年には風光明眉な瀬戸内海の木島燈台に移った。ところが大学入試に失敗して遊び歩いていた光太郎は、不良と喧嘩をして死ぬという不幸にみまわれた。歳月は流れて--思い出の御前崎燈台の台長になって赴任する途中、東京にいる雪野と名取家の長男進吾との結婚話が持ち出された。やがて2人は結婚して任地のカイロに向う日、燈台の灯室で四郎ときよ子は、2人の乗っている船のために灯をともすのであった。そしてめっきり老いた2人は双眼鏡に見入った。そして、長い数々の苦労も忘れて、2人は遠去かる船に手を振った。旋回する燈台の灯に応えて、船の汽笛がきこえて来た。
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