イホウジン

ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれからのイホウジンのレビュー・感想・評価

4.3
ゴールとしての恋愛ではなく、未来へ進むための恋愛

映画冒頭で明言される通り、この映画は決して恋愛映画ではない。恋愛が主体となる映画ではあるのだが、ストーリーの主軸はまた別のところにあり、それは「自分の言葉」「自分の意思による行動」である。
今作のメインキャスト3人は皆が完璧主義者だ。常に自分の存在の不確かさ(片割れの感覚)を自覚していて、それ故に「他人の言葉」や「他人に合わせた言動」を求めてしまう。だからこの映画は恋の三角関係を描くと同時に、そんな人間たちが次第に自分自身の存在の曖昧さを受け入れ、それを逆に自分の強みに変えていく/変えていこうとする物語なのである。例えば主人公は音楽祭で、過去の偉人が作曲したピアノソナタではなく自分が作詞作曲したバラードを演奏する。また男は恋愛であれ仕事であれ“自分のやり方”を追求することの大切さを実感し、2人が惚れる女は最後にそれを掴み取る。完璧主義は他律的で過去に依存する考え方だが、それから脱すると自律的で未来志向型な人間になれるのかもしれない。
そして今作のもう1つの軸となるのが、助け合える友人の大切さだ。この手の“自己啓発系”映画は、往々にして心情の変化は主人公自身の内面に委ねられる。自分を変えるトリガーは自分の心の中にのみぞあるということだ。心が成長する中でこういった側面があるのもまた事実だとは思うが、今作はそんな紋切り型な映画に収まらない。この映画は、まさにタイトルが示す通り「片割れ」が主題となる映画だ。冒頭から「人は常に自分の片割れを求めて生きている」と言及が入るように、登場人物たちは常に他人に“もう一人の自分”を見出そうとし、実際そうなる。一見すると、これでは他律的な人間を生産しかねないように思えるが、しかし今作では結果的に個々のアイデンティティが確立する所まで帰結する。なぜなら、「片割れ」と接触することは、逆に自分自身の愛すべき固有性を自覚することに繋がるからだ。今作のメインの登場人物3人は皆、相互に「片割れ」を持ち合っている。互いに相手を思いやり、人として恋人として愛する努力をすることが、最終的にはありのままの自分を愛するプロセスに繋がったのである。

物語を終盤に向かわせるトリガーが割と雑だったように感じる。まあ全体的に細かい出来事を抜かしている映画ではあるが、あの場面のあの行動だけ異様に軽率かつ浮いてて違和感があった。

ヤクルト飲みてぇ
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