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Mor vran(原題)の河のレビュー・感想・評価

Mor vran(原題)(1931年製作の映画)
3.6
https://www.cinematheque.fr/henri/film/54212-mor-vran-jean-epstein-1930/

フランスのセイン島についての映画。周辺の島々の紹介に始まり、その中でも海流が圧倒的に厳しい島としてセイン島が紹介される。島では女性のみが黒装束で働いていて、男性は全員海で漁や軍事のために働いている。セイン島の歴史は海による死と破壊の歴史であり、墓が何度も象徴的に映される。

セイン島から大陸へと出た若者達が登場し、そのうち1人はルーレットによる賭けに勝ちネックレスを手に入れる。それを恋人への土産として、週末を共に過ごすために渡航する。しかし、出発後海が荒れ出し、渡航が賭けと重ね合わされる。しかし、その賭けは勝率がほとんどゼロに近い賭けであり、若者達は海に飲み込まれる。

そして、海が落ち着いた後その死体とネックレスが海に打ち上げられる。それはあたかも海が自分にとって価値がないとして陸に吐き出したように映される。

島の人々は海による被害を修復しに出かける。若いカップルは島での自分達の未来、家や船を持つことについて語り、それに対して墓へ向かう未亡人が映される。

海による不条理な破壊や死、そしてそれと隣り合わせで生きてきた、そしてこれからも変わらず生きていくだろう島の人々についての映画。墓、そして女性達のカラスのような黒装束がその島に立ち込める男達の死の匂いを表しているような感覚がある。

『アッシャー家の末裔』ではアッシャー家が超自然的な世界によって飲み込まれて行く様が抗えない運命として描かれていたが、ここでは海が人間にとって抗うことのできない巨大な存在、運命のような存在として描かれている。

運命のような巨大な存在としての自然、そしてそれを一つの意思を持った存在のように映すという点でも、それをドキュメンタリー的な方法で行っているという点でもかなりフラハティの『アラン』などと近いように思う。ジャン・ルーシュの『mammy water』を見た時、間にジガ・ヴェルトフのキノプラウダを挟みつつもフラハティの先にいる監督なんだろうなと思ったけどフラハティじゃなくてこの監督だったんだと思った。
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