アクション映画の玉手箱。
単なるジャンル映画から、アクション映画の見本市にまで出世した稀有なシリーズ。最初は二千万ドル程度の小作品だったのに最後は一億ドル近くかかっている。興行成績も回を重ねるごとアップしていった。
その中でシリーズも、どんどんアクションシーンが洗練されていき、今回に至っては様式美満載のアート映画の如き映像にまで昇華され、とことん拘りが発揮されている。
当初は鈍重に見えたガン・フーもキアヌの鍛錬のおかげで完成されたスタイルとなり、齢60近いとは思えぬ体捌きが最強の殺し屋としての説得力を持たせた。
ジョン・ウィックはマッド・マックスと同じく全くストーリーなんてものは見当たらず、主人公も「Year!」と「I need a gun」しか言わない。ゲームのようにステージを替え、ひたすら殺し合いを見せるだけ。
しかし、スタントマン出身のチャド・スタエルスキ監督のアクションジャンルそのものの底上げを目的としたアクションに対する芸術的な拘りが完成形にまでいたり、不思議な感動を生む。
三作目は世界中のアクション映画のパロディーだったが、今回はアジアの至宝ドニー・イェンと真田広之というゲストを迎え、今までにない哀愁が加わり、ないはずの深みが現れだす。
物語そのものに深みはないのに、アクションに命を捧げてきた役者達と監督の熱い想いと深い歴史が刻み込まれ、ジョン・ウィックを超えて全世界の武芸に一生を捧げたもの達の生き様が滲み出る。
自分で戦わない空虚な悪役はまさにアクション映画の最大の敵の象徴として君臨し、身体を張る英雄達が死んでいく。まるでCGに仕事を奪われていくスタントマン達の決死の戦いにも見えてくる。チャド監督はアカデミー賞にスタントマン部門の設立のために奮闘しているそうだ。
そうすると、このジョン・ウィックシリーズはアクション映画業界の地位を底上げし、価値の再認識をさせるために業界を代表する作品なのだと納得。
そんな目で見るとジョン・ウィックの孤軍奮闘とはスタントアクション映画そのものの戦いだった。スタジオの主席やスタントしないスターにいいように操られ捨てられてきたスタントマン達の逆襲と死が詰まった悲しきシリーズ。迫りくる敵たちはスタントマンにやってくるハリウッドシステムの試練そのもの。
今回でシリーズは一旦解決したがユニバースはまだまだ続く。スタント魂はまだ死なない。