東研作

ジョン・ウィック:コンセクエンスの東研作のネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

今回、シリーズ4作を続けて見た。

シリーズすべてで監督を務めたチャド・スタエルスキについて、キアヌ・リーブス曰く【千葉真一さん、三船敏郎さん、黒澤明監督など、日本の映画の影響を多分に受けている。日本こそアクション映画の発祥地だし・・・】などとインタビューで語っているそうで、その言葉通り特に完結編の第4作『ジョン・ウィック:コンセクエンス』では、全編を通して日本の要素が感じられる作りにとなっている。

序盤で登場する真田広之はもとより、ざっと挙げるだけでも桜、手裏剣、殺陣、甲冑、屋台、箸、提灯、刀、浮世絵などの小道具が使われ、重要な役どころの準主役のドニー・イェン演じる殺し屋は「拳銃を撃つ」座頭市を彷彿とさせる役となっていて、座頭市ファンにはたまらなくいとおしいが、外国人の「日本に対する感じ方」は1970年代以降の「富士山芸者」とあまり代わり映えせず、少しばかり残念な気もした。

ただし、1970年代のあの「訳のわからないただ微笑むばかりの謎の日本人」という描かれ方ではなく、リスペクトを感じる要素は大いにあったことは付け加えておきたい。

映画冒頭の大阪を舞台とする映像は、松田優作がマイケル・ダグラスとの共演で勇名をはせた映画『ブラックレイン』で描かれていた大阪の映像とダブって見えた。

見ていて新しいアクションだなあと思っていた柔術と拳銃を組み合わせたような技は、wikipediaによれば、【日本のマーシャル・アーツ、殺陣、アニメ、香港映画のカンフー、マカロニ・ウェスタン、らから影響を受けたアクションは、ガンとカンフーを組み合わせた“ガン・フー”という新たな銃術を表現しており】と記されており、実践的かどうかはともかく近接戦闘について、新しい形を示していると感じた。

リーブスの代表作『マトリックス』は見ておらず、それとの比較はできないし、また格闘ゲームにも縁がないので、類推となるが、延々と続く終わりが来ない格闘ゲームの実写版という印象が強かった。

21発装填の拳銃で弾倉を換えずに40発以上撃ち続けていたのを指摘するのは野暮というものだろう。撃った玉の数を数えようとする自分のような輩には長い映画で、4作の上映時間を振り返ってみると、


第1作ジョン・ウィック 101分
第2作ジョン・ウィック:チャプター2 122分
第3作ジョン・ウィック:パラベラム 131分
第4作ジョン・ウィック:コンセクエンス 169分

で、新しい格闘シーンも続編になるにつれて繰り返しが多く、冗長な印象を与えていた。エンターテイメントなのだから、120分内で終わり、カタルシスを感じさせてほしかったなあ。

1匹狼の殺し屋が組織なり、受託先なりの『主人から自由になる』というテーマはこの種の映画にはつきものだが、この世の中にどこにも所属せずに静かに生きることを求めるのは非現実的であることを改めて示した映画でもあったと思う。その意味では「新しい映画」ではなかったように思う。

自由になる時、または自由になったときは『死』がそこにある。死ぬことでしか自由になれないのだ。

生きながら自由になることは無敵のジョン・ウィックにもできなかったわけだから、凡夫には到底無理だ。あ~あ

ちなみに2023年公開のシリーズ7作目となったトム・クルーズの『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング』では、「組織からも受託先からも自由になった」想定のIMFのメンバーが難題の解決に挑むがその相手は「全能AI」で、我々の主人は「主席連合」や「ボス」などの「人」からAIに移り変わっていることを示しているが、相変わらず、『AI主人から自由になる』がテーマで、映画がつくられているということは人類は未だ新たなステージには到達しておらず、その未来予想図も想像できていないことを示していると思う。

秩序がないと生きられない我々はどこかで「主人」を持たざるを得ず、その主人からは死によってしか自由になれないというテーマを打ち破る映画を誰か私たちに提示してくれ!

それまではようやく自由になった墓の墓碑に「Loving Wife」または「Loving Husband」と刻むしかないのだから。
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