岡田拓朗

哀愁しんでれらの岡田拓朗のレビュー・感想・評価

哀愁しんでれら(2021年製作の映画)
3.7
哀愁しんでれら

超絶劇薬映画。
まるで『ミッドサマー』を観ているような受け入れ難く、胸がざわざわする感覚が押し寄せてくる。
和製ミッドサマーと言っても遜色ないんじゃないでしょうか。
自分は受け入れ難かったけど、どハマりする人にも納得できる。

怒涛の伏線回収や逆行の使い方はお見事だったが、それを完璧にしようとしすぎてるがゆえか、物語の展開や細かい点について気になる部分があった。

特に現実に転化しながら考えられるかという点については、表現やその落とし所がオーバーすぎてなかなか受け入れ難く、冒頭にも書いた『ミッドサマー』を観たときに感じた嫌悪に近しい。

ただ、現代社会の中に潜んでいるエリート主義がもたらす怖さや異常性についてを、おとぎ話みたいな寓話性を醸し出しながら映し出していってる秀逸な作品とも言える。

自分は絶対正しいんだと思い込んでしまうことで、自らを顧みることができずに、居場所を自らで壊していってしまう。
信頼を含めて全てを失って、社会の中で生きていくことが難しいと感じたその先に待っていたのが、『ミッドサマー』並の最悪の結末で、みんな違ってみんないいとか言いながら、自らが自分たちと異なる考え方を持つ者全てを抹殺していて、そんな矛盾にすらも無自覚。

それ以外にも、無意識的な矛盾を孕みまくっていて、こうなりたくないと思っていたことを見事に全て体現していってしまってるのが恐ろしすぎる。

考え方と能力は、どちらもが伴うことで社会にポジティブな還元ができるとよく言われるが、エリート主義に走ってしまうと考え方の部分に倫理観が欠如していき、その高い能力が最悪の形に利用されてしまうことがある。
よく例として出すが、オウム真理教なんかはまさにその境地としてあるだろう。

自分の中でこの映画が受け入れ難いのは、このエリート主義がどうしても理解できず、特にこの多様性を重んじる傾向の強い時代に、現実にもここまでオーバーにそれを主張し表立っている様を描くのに、どういう意味があるのかが腑に落ちてこなかったのもある。

表層的にしか人を見れていなくて、自分の子を愛しすぎるがゆえに盲信してしまい、自分が正しいと思いすぎるがゆえに、相手の話に聞く耳すらも持たなく持論だけを訴える。
そうなるとそれは確かに人が離れていってしまうだろう。

でも誰かにとっての最悪の結末が、誰かにとっての最高の結末となり得るのが、こういう境地の恐ろしさでもある。
自分にとって都合の悪い人がいない世界は、誰にも自分を邪魔されずに否定されないという意味では楽園たり得てしまう。

それこそ絶対に関わらないといけない場所が、自分と全然違う価値観だったときに、それがより強く出てしまうんだろうなと。

幸せってなんだろう。これは一生問い続ける命題でもある。
居場所によって人は変わっていく。
いつの間にかその居場所に染まっていき、そこの価値観が絶対的な正しさとなってしまう。
のめり込めばのめり込むほど、腹を括れば括るほど、それはより顕著になっていくから、そこは注意してたまに俯瞰的に社会や自分を顧みないとこうなってしまう可能性があるんだろうと感じた。

とにかく好き嫌いがだいぶわかれるであろう強烈な作品でした。
岡田拓朗

岡田拓朗