ナカムラ

哀愁しんでれらのナカムラのネタバレレビュー・内容・結末

哀愁しんでれら(2021年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

観終わってから映画館から出て、様々な色の車が並ぶ駐車場を抜けて、横断歩道を渡った。
信号は黄色に瞬いていて、今にも赤に変わりそうだったので急いで歩道を走り抜けた。
振り返ってみるとずっと前から赤だったような顔をした信号機がこちらを睨んでいて、気まずい気分になった。
黄色は注意。
よく考えたら、引き返して青を待つという選択肢もあったなぁ。でも、頭の中にその時は不思議と全く思い浮かばなかったんだ。

赤青黄の三原色が印象的に使われていた作品だった。

「正しさ」に偏執的な小春と自己愛を抱えたまま大人になれない大吾と、父親の歪んだ価値観を内面化してしまっているヒカリ、そんな家族が家族の画とともに完成してしまった。
おいしく出来上がってしまった。

最悪なのは、一人一人では社会にいなくもない妙なヤツぐらいなのが、家族として一体となった途端に一線を踏み越えることに抵抗がなくなる事。
子どもって単数形だとチャイルドだけど、複数形だとチルドレンになるじゃない?
別物になるんだよね。
そういう意味では、この家族には大人は一人もいない。子ども帝国なんだよなー。

あと一点気になったこと。
小春さん、料理にあんまり興味ないでしょ?
生活に必要な衣食住のうち、母親不在のあの実家で一番影響が出てるのが恐らく食なんじゃないかな。
小春の食事マナーがあんまりよろしくないことは度々描写されてるけど、なんせ4日連続カレーでも妹がちょっと文句言うだけで誰も気にしてない。そういう友達の家に遊びに行った時に体験する食文化の厭なあるあるが面白い。

大吾が「食うことしか頭に無いのかよ!」って激昂してたけど、それはむしろ逆で小春は「食うことに関心が無さすぎる」んだよね。焼肉のシーンも肉を食べたいからではなくて、肉が焦げることが我慢できないから箸を伸ばしたんであって、そう考えると大吾って勘違いばかりしてる哀れな男に見えなくもない。40歳で泥酔して友だちにも心配されずに、独りで踏み切りのレールを枕にして死にそうになってるんだから。秘密の部屋に隠された30枚の自画像は彼のナルシシズムを雄弁に物語る。それを焼いたところで娘に自分がバッチリ投影されているので、アレはそこまで彼にとってダメージは無いのだ。まぁ、大吾の事はどうでもいいや。

小春が点滴が好きなのって、そういった食に対して興味を持って来なかったことを端的に表しているし(なんて厭な「腹に入れば皆同じ!」だろう)、それを理解できなかったような大吾が、徐々に自分も点滴を打ち始めてしまうのは、小春と大吾の力関係が決して一方的でなく、むしろお互いを最悪な形で相補するようなパートナーだったって意味だと解釈した。

食に興味がないのに何故あんなに弁当作りに懸命だったのか?それは、小春が己の考えるお母さんとしての役割に忠実だっただけにすぎないし、実際にあの弁当は見た目は小綺麗に整えられているものの、構成が全く同じでおにぎりのフレーバーだけ変えました的な、全然美味しそうじゃないものではなかったか。

こういう小春の「ガワだけ整っていればいい」という中身軽視の価値観はかなり一貫して描かれていて、2回目を見直すとたくさん発見があって楽しいかもしれない。
それがヒカリのおにぎりの具を変えてるうちはまだ、いや親としては完全にアウトな人なんだけど、大吾の娘=本当は自分至上主義価値観と結びついてしまう事で、悪魔的な発想に結びついちゃうのはよく出来てる。
最後に小春がすり替えたものは何だったのか?
注射器というガワが整えられた毒=インスリンですよねー。

はっきりと無茶だろ!ってポイントもある作品ではあるけど、考えどころは多いし、何より結構笑えるのでオススメです。この家族本人たちにとってシリアスなシーンであればあるほど、側から見てると面白いよ。
それともそのコントラストこそが、異常であるということの一側面であるということなのかもしれないね。