岡田拓朗

ヤクザと家族 The Familyの岡田拓朗のレビュー・感想・評価

ヤクザと家族 The Family(2021年製作の映画)
4.3
ヤクザと家族 The Family

最近全然Filmarksに投稿できてませんでした。
基本的にインスタ(https://www.instagram.com/taku_cinema/)で挙げている感想のコピペなので、もしよければリアルタイムで挙げているインスタの方もご覧いただけると嬉しいです!
これからはできるだけこちらにも更新していきたいと思います。

では、以下から同作の感想です。

傑作。素晴らしすぎる。
理解され難いヤクザの世界を家族として描くことに徹することで、彼らにも宿っている/いたであろう人間味をしっかりと浮き彫りにさせ、よい意味で人間としてのヤクザを再構築させてくれる作品。

そこにそう生きざるを得ない人たちの寄り添いや色んな境遇で生きる人がいる一側面からでは決して語れない複雑な社会そのものが浮き彫りになっていく。

ヤクザの人権が問われる中、決して悪しき部分だけではない、大切な家族のために自らの死をも辞さない覚悟を持った義理と人情を重んじる彼らの愛すべき側面をしっかり描いている藤井道人監督らしい優しさのある作品だった。

物語の構成も絶妙で、ヤクザが街を支配していた全盛期と後ろ指を指され居場所がなくなりつつある現在を辿りながら、それぞれの変化や変化によってまた新たにできる家族にも焦点が当てられるため、より現在におけるヤクザの世界の厳しさやそれらを取り巻く人たちそれぞれの生活の実態を、しっかり比較としても感じ取ることができる。

それらが描かれていく中で、決してヤクザとしての世界だけに止まらない、この世で生きるあらゆる人や社会そのものに転化できるメッセージも詰まっていた。

不器用にしか生きられない人たちは器用に生きられる人たちに翻弄される。
(権力という意味での)力が弱ければ弱いほど、呑まれてしまう現実からは避けて通れない。
それを利用する人たちがいなくならない限りは。

国は一つの社会として体を成しているように見えるが、そこにはたくさんの共同体やその人にとっての居場所、そして突き詰めていくと個人がある。

ヤクザと無縁に生きている自分は無論、彼らの世界のことは深く知らない。
深く知らないから一つの側面から見た情報でイメージづけられてしまう。
これは戦争映画を観るときにも感じることではあるが、自分が生きてきた中でこれは絶対にダメだろうという事象が、異なる時代や境遇、組織の中では正しいものとされることもある。

そんな有象無象にあらゆる正しさやルールが混在する中でも、国の一員として生きている僕らは、結局そのルールに最低限従わないといけなくて、それは時代によって変わっていく社会に、ある程度合わせないと生きていけないことを意味する。

「綺麗事だけじゃ生きていけない」
この言葉がとてつもなく重く説得力のある形で、社会的弱者となってしまったヤクザにのしかかってくる。

そして、岩松了さん演じる刑事の放つある言葉が伏線にもなっていて、本当に変わらなければならない、もっと監視の目を凝らさなければならない人は誰なのかについても同時に考えさせられる。

不器用な人はその分正直で、本当は人間味に溢れていてわかりやすい。
表では正しいことをしているようで、裏では至福を肥やしながら誰かの人権を壊しにかかっている人が、この世の中にはいるかもしれない。

藤井道人監督が描いたこの世界が、現実として蔓延ってるものとして描いたのなら、それは今もまだあるんじゃないかとより強く思わされる。

自分はこういう世界とは無縁で生きていくだろうし、ここまで何かに覚悟を持って生きることはできないだろうし、どちらかというと平凡な人生を歩んでいくことになるだろう。

でも、自分が大事にしたいことをちゃんと大事にして、変わっていく時代の流れの中でも変わらない自分だけの大切なものをちゃんと持ち続けられる人になりたいと思った。

ヤクザとは、良くも悪くも世界が狭く、世間知らずのように感じる。
でも、だからこそ家族のようなここまでの強固なつながりが他人同士でも築けられ、大事なものをみんなで大事にできるんだろう。
彼らがヤクザとして出会ったのではなく、別の出会い方をしていたらどうなっていただろう。
ここまでのつながりは生まれていただろうか。

そこにかける覚悟が強ければ強いほど、生きられる生き方の選択肢は、歳を重ねるごとに閉ざされていく。
これは何もヤクザだけの世界のことではなく、それでしか生きていけなくなるという意味では、他のことにも通ずるだろう。

それだけでずっと生きていけたらよいが、時代の流れが早く、流行り廃りも激しい現代では、ずっと同じように一つのことだけで生き抜いていくのがどんどん難しくなってきてる気がする。

そんな世界のメタファーとしてヤクザが描かれていたようにも感じた。
それをより強く感じたのは磯村勇斗さん演じる木村翼の存在。
彼はヤクザである山本賢治に憧れながらも、ヤクザにはならなかった。それでは生きていけないから。

どちらかというと器用に生きられていた翼も、自分の中にある曲げられない信念をちゃんと持っていて、そういうのがこの映画に深みと感動を生んでいたように思う。

様々な「生きること」について考えさせられ、それぞれの生き様に心揺さぶられて涙する感動の傑作だった。
岡田拓朗

岡田拓朗