この映画の映像の特徴としてタバコや工場の煙突からモクモクと煙が上がっていてそこに美しさとこだわりを感じた。そして、この映画のエンドロールに流れたmillennium paradeのfamiliaは鎮魂歌である。賢治のことはもちろん、この映画に登場する人物たちの罪、特に翼の罪と死を綺麗に洗い流してくれるような曲だと思う。この主題歌を聴いて煙が何を象徴しているのか、それがわかった。煙は天と地を結ぶ媒介者だ。例えば線香は宗教的意義を強く意味する煙の代表の一つだ。そう思うと、あの黒い背景に白字で登っていく名前すらも煙に見える。
「走馬灯に映るすべての記憶があなたで埋め尽くされたならもう思い残すことはない」familiaの一節にある歌詞を聴きながら、賢治は刺されながら誰を想ったのかなと考えた。娘と母のことを想ったのは間違いないだろう。でも、賢治なら親父のことはもちろん出会ったすべての仲間たちを想い浮かべていたんじゃないかと思う。
ジョーカーを観た時も同じようなことを考えた。一度社会から外れた人間が社会に戻ることの難しさを。戻ろうとしている人間への社会の排他的な扱いはあんまりだ。怒りが湧いてくる。当事者なら尚更そうだろう。だから、賢治はもう戻れないことを察して自ら命を差し出したのだと思う。「この身かけたとて釣り合う訳もない」