朝田

Dillinger è morto(原題)の朝田のレビュー・感想・評価

Dillinger è morto(原題)(1969年製作の映画)
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中原昌也の白紙委任状にて。暑すぎるアテネフランセのロビーで並んでクラクラした状態で見るのにピッタリなめちゃくちゃ変な映画だった。中原氏の小説のよう。映画の半分以上かMピコリの一人遊び。部屋の中でプロジェクターが映し出す映像と戯れたり、銃を分解したり、料理を作ったり。ただそれだけなのだが、妙な緊張感、不穏さが漂っているのはピコリが無表情でしかもセリフがほとんど無いため何を考えているのかサッパリ解らないからだと思う。心理を排除しアクションだけが紡がれていく。なおかつカメラが硬質で、ショットで語っていく姿勢を貫いているからこそピコリがどれだけ遊びに耽ろうが無機質さが強調されている。イタリア映画らしいレアグルーヴなやたら格好いい音楽が垂れ流されているのも異様。そしてしまいにはピコリが妻を銃殺して街に飛び出すという陰惨な展開に。イタリア映画だがアメリカンニューシネマ的な退廃への憧れから作られている事が判る。その後水着のギャルが船長の船に救われるというバカバカしい急展開が始まり、やんわりと終わっていく。あれだけ陰惨で地味な話なのにも関わらず、後味は爽快なのが凄い。どういう意識の下撮られたのかサッパリ解らない不気味な映画で面白かったが、あんな灼熱の廊下に並んでまで見る映画ではないとは思います
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