ストレンジラヴ

海の上のピアニスト イタリア完全版のストレンジラヴのレビュー・感想・評価

4.5
「無力ではなかったようだ」

アレッサンドロ・バリッコの独白劇を「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989)で知られるジュゼッペ・トルナトーレ監督が映像化。
"1900"ことダニー・ブードマン・T.D.レモン・1900は、地中海〜大西洋航路に就役していた豪華客船ヴァージニアン号の船内でピアニストを務めていた。その音色は当代随一の誉れ高く、イタリアの巨匠トスカニーニやヴァイオリン愛好家として知られたアインシュタインも彼に会うためにヴァージニアン号に乗船したという噂もある。しかしながらどういうわけかこの天才ピアニストが下船した記録はなく、資料もほとんど残っていない。1931年夏、"ジャズとスウィングの創始者"ジェリー・ロール・モートンが彼と「ピアノの決闘」をした際の写真がわずかに残っているのみである。モートン自身もこの決闘を生涯語ることはなかった。さらに残念でならないのは彼の演奏の録音が残っていないことである。レコード史上の珍事として「船上でのレコーディング」が彼のために一度だけ行われたそうだが、その後の第二次世界大戦の混乱によってこの貴重なレコードも行方がわからなくなってしまった。ヴァージニアン号も第二次世界大戦では病院船として徴用され、以降の1900の消息は残念ながら掴めない。音楽ファンとしては無念である。せめて一度だけでも、音質が悪くとも、レコードでいいから彼の音色に触れてみたかった。ベルリン・フィルの鬼才ニキシュ、夭折の天才ピアニスト・リパッティの演奏でさえ辛うじてレコーディングが残されているというのに。
さて、本来ならば午前十時の映画祭13の大トリとして観るつもりだった本作。だが上映されるのは125分の国際版であり、170分のイタリア完全版ではないため配信に切り替えた。いや、もう文句なし。僕は製作者の意向がより精確に反映されているとの判断から、通常版と完全版が存在する場合は完全版を優先している。しかし面白さの点では必ずしも完全版が優れているとは言い切れず、スピード感が失われたり、無駄にHなシーンが盛り込まれて却って風味を損ねることも珍しくない。だが本作に関しては、むしろ45分もどこを削ぐ必要があったのかが分からなかった。それくらい大切なシーンばかりだった。結末は切ないものだったが、最終盤、楽器屋の主人が"コーン吹き"トゥーニーにかけた言葉で全てが浄化されて思わず涙してしまった。
面白い物語があって、それを聞いてくれる人がいる限り人生は悪くない。価値のある物語をありがとう。