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異端児ファスビンダーのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

異端児ファスビンダー(2020年製作の映画)
3.5
[愛は死よりも冷酷] 70点

カンヌ・レーベル選出作品。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの生涯をファスビンダー映画に似せて撮った作品と聴けば、ミシェル・アザナヴィシウス『グッバイ・ゴダール!』の悪夢が脳裏をよぎるが、確かに味気なく淡々と進んでいく骨格そのものは似ているものの、全然違ったということは最初に書いておきたい。物語は1967年、22歳のファスビンダーがアンチテアターの舞台稽古でクルト・ラープと出会った場面から始まる。そして、37歳で亡くなるまでの愛の遍歴を、まるで彼の人生そのもののように、爆速で駆け抜けていく。その点でふと思い出したのが、今回のドイツ映画祭でも上映されているブルハン・クルバニ『ベルリン・アレクサンダープラッツ』である。同作は原作『ベルリン・アレクサンダー広場』における主人公を含めた三角関係を抽出した作品であり、ファスビンダーの人生から彼の恋愛遍歴だけを取り出してきた本作品と似ている部分がある。だからなのか、矢継ぎ早に繰り返されてきたであろう撮影風景のうち、恋人たちの関わった作品(特に作中では"ブラッキー"と呼ばれる『ホワイティ』)を再現する熱量は他の作品と比べ物にならない。

撮影現場での彼は、セクハラ、モラハラ、パワハラ等ハラスメント各種盛り合わせという現代では即アウトな行動を繰り返し、セットの外側でも仲間たちに対して暴力的に接している。本作品は全ての場面を舞台上のように、紙一枚に描かれた背景と少ない家具で再現することで、撮影現場内外の境目のなさ、そしてファスビンダーの人生が"映画"であることを滑らかに提示する。彼にとって彼の人生は芝居のようなもので、他人は監督である彼に従うべき役者であり、言うことを聞けない役立たずや興味を失った人物は"現場"から速やかに去ってほしいのだ。そんな態度も、周りから見てみれば駄々っ子の癇癪のようで、彼が求めているのは"役者"ではなく、殴りたいときに殴られ、抱きたいときに抱かれ、慰めてほしいときに慰めてくれる都合のいい存在に他ならない。そして、ある程度そういう扱いを受けることを受け入れた人物だけが仲間の一員として映画の最後まで登場し続けていたんだろう。

とはいえ、本作品が愛の映画なのに対して、本作品からはファスビンダーの"愛"も、レーラーのファスビンダーに対する"愛"もあまり感じられないのが悲しい。オマージュや言及レベルまで含めるとかなりの数の作品が引用されているだろうと思うが、架空の人物を描くならともかく、実在の人物を本人のスタイルに似せて描いているのに、どことなくやる気を感じないというかなんというか(似せただけに留まっていたアザナヴィシウスよりは全然良いのだが)。ミア・ハンセン=ラヴ『Bergman Island』と同じく、"業績は偉大だが私生活はクズ"という映画監督についての批評というわけでもない。全体的に何を目指しているかよく分からなくなっているのは致命的なのではないか。

不思議なのはウリ・ロンメル、ブリギッテ・ミラ、マルギット・カーステンゼンといった俳優たち、クルト・ラープ、ギュンター・カウフマン、エル・ヘディ・ベン・サレム、アルミン・マイヤーといった恋人たちの名前は実名で登場するのに、ハンナ・シグラやユリアーネ・ローレンツなどは別人で置き換えられていることだろう。許可が下りなかったということのようで、確かに当事者からすれば"殴られてもヘラヘラしてずっと付き従ってました"みたいに描かれるのはたまったもんじゃないが、観客としてはいきなり"『マリア・ブラウンの結婚』でスターになったマルタ・ヴィチュレックよ"と言われると、生身のフィクションが突然介入してきたような奇妙な感覚に襲われてしまう。この大きすぎる歴史改変は、人の人生を他人が再構築するという企画そのものを一言でぶち壊す力を持っている気がして、一気に冷めてしまった。破滅的な展開は好きだが、引っかかる部分も多い。
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