すずす

スパイの妻のすずすのネタバレレビュー・内容・結末

スパイの妻(2020年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

NHKがBS 4K/8Kチャンネル普及の為に製作した、鬼才・黒沢清監督の戦争サスペンス大作。第二次大戦直前、関東軍の細菌兵器による人体実験を知ってしまった商人と妻の生死を賭けたレジスタンスの行方。しかし、それは今、世界各国に蔓延する政府の強引さへの懸念と似て、とても今日的で、切実な主題でもある。

1940年、日独伊三国同盟が形成され、戦争の足音が近づく日本。神戸港そば製糸業者の英国人が逮捕される。神戸の貿易会社の社長・福原(高橋一生)は保釈金を積み救い出す。福原はハイカラ志向で、映画撮影が趣味。社員の竹下(坂東龍汰)や妻(蒼井優)とスパイ映画を撮影、会社の忘年会に上映している。福原は旅好きでもあり、竹下をお供に連れ、中国を旅して帰国する。その直後に、彼らと一緒に帰国した女性が死体で発見される。竹下は会社を辞め、有馬温泉にこもり小説を書き始めるが、憲兵隊の隊長となった甥っ子が、福原の妻の下を訪ね、福原に女性殺害の嫌疑が掛かっていると忠告する。
妻は夫が関東軍が人体実験を行っている証拠を持って帰国した事実を知り、夫が隠した証拠を見つけ、憲兵隊に自首しに出かける―ここから事態は急展開、一見、夫・福原への裏切りに見えた妻の行為は実は憲兵隊を騙す仕掛けがあり、更に、仕掛けはその裏の裏へとつながっていく。
そして、映画は1945年の春までを描き、関東軍の資料暴露の有無に触れぬまま重苦しいクレジットで終幕する。

スパイ容疑のかかる夫を守る為、妻が打って出る大芝居、そして、福原を尾行し続け尻尾を掴む憲兵隊、そんな彼らの更に裏をかく夫の福原。後半の裏返しの連続こそが、この映画の最大の見所。
通常の映画は、スパイを描くが、スパイをする男の陰で悩む妻を主人公にしたことが、物語によくあるサスペンス以上の重相感を与え、男女間の痴情も絡まり、物語は複雑に展開する。
最後まで、資料の暴露の有無が告げられていないのと同様、最後に誰が妻の逃亡をチクったのかも明かされていないのだが、私には家政婦の駒子(恒松祐里)のような気がした?こういった観客への想像の委ね方も、インテリ系の人種には、心地よく感じられる筈だ。
これがオリジナル脚本と云う点も、大きな評価に値する。アメリカならアカデミー脚本賞の有力候補だろう。黒沢監督作の中で、カルト色の極めて薄い物語には、今の時代、香港や、日本でも強くなっている政権による恐怖政治、同調圧力を思わせ、広い普遍性がある。ヴェネチアでの支持も郁子なるかな。

魅力の二番手は、NHK製作でしか成しえない、戦時下の日本を再現した、見事なセット。と云っても『いだてん~東京オリムピック噺』の使い回しではあるが、40年代、神戸の繁華街を再現したセットは、今の日本映画では中々見られない。クライマックスには街を焼き尽くす空爆もある。

ここは意見が分かれる点だろうが、唯一惜しいと思えた点は、主演の蒼井優の芝居。当然、名優・蒼井優だけに主演女優賞級の演技ではあるが、もう少しじっくり演出すれば、ヴェネチアでも女優賞を貰えそうな題材だった気がする。原因は女優と云うより、演出家にある気がするのだが、皆さんはどう思われるだろう?
黒沢監督としては前作『散歩する侵略者』に続き、カルトな主題ではない一般的な題材を扱っているが、単なるジャンル映画に終わらせない黒沢流の奥行きはそこ、ここにある。映画内映画、陰影の濃い撮影手法、特に衣装・美術が破格に良い。

公開の少ない2020年の邦画の中では、行定監督の『劇場』と並び、トップに位置する出来映えの映画だが、この2作共、公開の不規則性から日本アカデミー賞の該当になれるのだろうか?
新宿ピカデリーにて鑑賞。
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