マチ

スパイの妻のマチのネタバレレビュー・内容・結末

スパイの妻(2020年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

黒沢監督のフィルモグラフィーは「夫婦」という単位と、その関係性に関心を持つものが多い。
本作の時代は太平洋戦争前夜ではあるが、戦争をともに生きた夫婦の絆を描いた作品でもなければ、スパイ容疑をかけられた夫と妻とが国家や全体主義を相手に個の自由と潔白を勝ち取る話でもない。
ここに描かれた時代背景や設定はあくまでも屏風として配置している程度で、シンプルに「夫婦」に主題が当てられた作品、という印象だった。

密謀をあえて晒し、拷問された文雄お構いなしに夫を自分だけのものにしたい妻と、妻に自身の大義を干渉されたくなかった夫。その夫婦が駆け引きをしながら相剋する物語である。
憲兵隊長の泰治が二人の間にもっと踏み込んできたならば、脚本担当の濱口監督作品『寝ても覚めても』のように見えたかもしれない。

夫のノートを泰治に渡すシーン。ここで蒼井優が和装なのが良い。
この作品は蒼井優が原節子のような印象的な口調だったり、劇中に山中貞雄や溝口健二が取り上げられたりするが、ほかにも昔の日本映画を感じさせる演出が見られる。
今よりも洋服と和服の両方を普段から着回すことが多かった時代、「若さ」や「奔放」なイメージの洋服とは違い、和服を着せることは「貞操」「人妻」の印象を強くする。

夫の身に危険が及ぶかもしれない告発を決行する際に、和服に着替えているのは、憲兵に対して愛国心を纏っているからではなく、逆に妻というアイデンティティを持って、強い覚悟を決めていることがあの和装から伝わってくる。
和服で女性の立場や心情を表す演出は現代の映画では少なくなったとは思うが、この時代を切り取った先人達の映画と、自身が作る映画とのすり合わせのような時代考証を、調度品などの美術にする考証と同じように、監督が行ないたかったのではないだろうか。それはいつもの黒沢印の演出ではないが、この時代の作品を制作することに対する先人への礼節とオマージュだったのかもしれないと思うと感慨深かった。

それとこの作品が特異だと思ったのはラスト。夫婦の結末を和解や妥協には持っていかず、テロップで決着をつけてしまっている(妻は生き残りアメリカへ渡り、夫は終戦後に死亡が確認されている)。
作品の完成度の高さや面白みを求めるのであれば、たとえ原作と違いがあったとしても、夫の最期をもっと具体的に描いた方が良いと思う。動乱の時代に道半ばで朽ちた正義の結末を、上映時間が多少長くなっても、映像として観たかった気持ちはある。逆に妻が絶望の淵からどういった意図を持ってアメリカに行くことになったかも気になる。

ただ、そうはせずにテロップにしてしまっているところ、結果的には「面白い」と思ってしまった。

NHK制作のせいもあるのか、真面目で手堅い印象の作風ではあった。監督特有の演出である「風に揺れる何か」も少ないし、1カットの途中で照明が変わったりもしない。バスや電車の乗車中におどろおどろしいものも感じられない。今回の撮影が芦澤明子でない事も大きいのかもしれない。役者の動線設計は相変わらず見ごたえがあり、長回しのなかでの演技は緊張感があるのだが、それだっていつもよりは効果が浅めの印象だった。

だから終盤まで「もっと遊べばいいのに」とやや不満な鑑賞をしていたが、テロップが画面に現れ、エンドロールが流れた時、不思議と笑いが込み上げてきたのである。「ここで終わり?(笑)」と驚いたと同時に、「ああ、自分は黒沢清が好きなんだなあ」と思ってしまった。

個人的に思う監督の魅力は、不穏で緊張感ある演出・画面のなかに若干「崩し」を入れてくるというか、緩めてくるというか・・・完璧な作品になっていく、その一歩手前で監督自身が客観的に照れてしまっているんじゃないかと思えるような質感があって、どんなに怖くて絶望的な作品でも「この映画を作ってる人は悪い人じゃないな」と観了後に感じさせてくれるところである。

最後のテロップも憎めないどころか、むしろ愛らしく感じた。この感覚を作品の感想として織り込んでしまうのもどうかとは思うが、「CURE」や「トウキョウソナタ」などの完成度の高さに文句もつけられないような傑作も手掛けてきた人が、大真面目にテロップエンドを選択したとは思えず、最後にちょっとした茶目っ気が漏れてしまったのではないかと思うのも、この作品の味わい方の一つであってもいい気がするのだ。
マチ

マチ