イホウジン

スパイの妻のイホウジンのレビュー・感想・評価

スパイの妻(2020年製作の映画)
3.9
“恐怖”の対象としての戦前日本

第二次世界大戦をめぐる戦争映画に日本軍はほぼ確実に登場するが、それは常に、どんなに彼らの行いが残虐であろうとも、同じ「国民」として幾分かの同情の目を向けるものであった。鑑賞後に憂鬱な気持ちになる塚本版『野火』でさえも、あくまで兵士に対しては哀れみの目を向けるものであった。だとすると今作は、そういった戦争映画の“定石”を崩す映画でもある。
今作における戦前日本はまさに「絶対悪」的存在である。それは夫が満州で目撃したものや夫婦を追い詰める日本軍の行動に裏打ちされるが、それらによって描き出されるのは戦前日本の空気の“恐ろしさ”だ。同情も哀れみの目も向けず、ただひたすらに主人公たちを攻撃する悪として存在し続けるのである。
やさしい観客であればこの突き放しに嫌悪感を抱くのかもしれないが、しかし戦前日本の表象に対するこのアプローチはもっと広まるべきものであるとも考えることができる。というのも、彼らに“人間性”を持たせようとする時、どうしても彼らの“非人間的な”行いをタブー化してしまうからだ。実際、今作で観客に向けても告発される日本軍の闇は、まさにこの国のタブーとして長年封じられてきたものだ。人類の虚しさ愚かさという普遍的なテーマを扱う戦争映画も否定はしないが、もっと純粋な悪を描くそれを今作は切り開いたように思える。

なんというか、すごく説明に苦労するストーリーだ。「人間はそもそも信用ならない存在だが、それでも信用なしに生きることはできない」という考え方はいかにも濱口竜介の脚本らしく理解できるのだが、いまいち物語の全体像を掴むことができない。おそらくその原因は、終盤の独特な虚無感だろう。映画的なカタルシスも絶望的な演出もないごく単調なものであり、解釈のしようによってはそれまでの言動の全否定さえしかねないものでもある。その両義性こそが、今作に多様な解釈を与えているのかもしれないが。

ところで、終盤に妻が発する「狂ってないということが狂ってる」というセリフに思わずはっとさせられた。戦前日本の恐怖もどちらも“精神”に由来するものであり、そういう時代が再来しても不思議ではないということを改めて確認させられる。
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