カルダモン

スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバースのカルダモンのレビュー・感想・評価

4.5
ドアタマのドラム乱れ打ちシーンで鷲掴みされた。バンドって違う人間同士がひとつの世界を作ること。でも当然ながら個人はひとりひとり違う、故に化学反応が起こるわけで。良い反応もあればそうでないことも。

誰にでもある事、他の誰でもない事、
何かがなくなって、何かがうまれて、
自分の居場所がどこなのかを模索する。
誰かが書いたいつもの物語のままでいることが、スパイダーマンの物語を語り続けるということなのか、あるいはその壁をブチ抜くのか。
過去も未来も東も西も、多次元に広がるスパイダーマンの可能性が、文字通り画面を埋め尽くす。

傑作も駄作もすべてが並列となったマルチバースの世界で、マイルスの葛藤と成長は、スパイダーマンの歴史が築いてきたカノン(=正史)にどう向き合い、決着をつけるのか。「to be continued.」を待つ一年が遠く感じる。

前作『イントゥ・ザ・スパイダーバース 』の時に書いたけれど、私はアメコミ弱者でスパイダーマンに対しても思い入れはなかった。そんな門外漢でありながら、目を見開くようなビジュアルとストーリーひいては創作物の愛おしさに打ち抜かれてしまった。相変わらず実写版アメコミ映画には興味が持てないままだが、私はそれで十分なのかもしれない。

そうして待ち望んだ本作『アクロス・ザ・スパイダーバース 』でしたが、とてもじゃないけれど一度の鑑賞では拾いきれない情報量。それでも、すべての制約を捨て去ったような色と線の洪水に陶酔する2時間半、もはやアニメなのかアートなのか、その境目さえもなくなっていく心地よさがありました。

そもそもなぜ『スパイダーマン』にはこんなにたくさんのメチャクチャな派生キャラがいるのだろう。本作には約240体のスパイダーマンが登場しているそうですが、他のアメコミヒーローでも同じようにメチャクチャなキャラがたくさんいるのでしょうか?猫とかT-REXのスパイダーマンとか、車椅子に乗って杖の先端から糸を出すとか、本作の主要なスパイダーマンでさえ黒人妊婦さんがデカいバイクを派手に乗り回したり、中国ゴマで戦うインド版スパイダーマンだったり、ジェイミー・リードのコラージュみたいなスパイダーパンクだったり、もう発想がブッ飛びすぎていて。私のようなアメコミ門外漢にはほとんどサイケデリック映像に感じられました。

この映画は、創作物讃歌であると同時に、脱・スパイダーマン、脱・アメコミ映画として殻を破ろうとしているように思えた。パンパンに膨れ上がったマルチバースの世界、想像はどこまでも広がるばかりだが、私がひとつ予感しているのはどこかで読者の存在が描かれるのではないかということで、[今見ているものは創作なのだ]という身も蓋もない冷や水をぶっかけるような視点は、一方で創作物を生み出したのは他ならぬ現実に生きるひとりひとりの想像力にあるのだという結論。

この作品にも度々観られるような観客に向けて語りかけるナレーションであったり、自己紹介がわりにコミックスの表紙が差し込まれたり、なにかとメタ的な視点が目に止まる。なにより本作では映画が始まる一番最初(企業ロゴよりも前)に咳払いが「コホンッ」という漫画のフキダシ文字で描かれる。あれは『ネバーエンディングストーリー 』のバスチアンのような読者がいるというメタ表現のように思える。コミックスを読んだ人それぞれの中にまた別のスパイダーマンが存在して、実人生にエフェクトするという、つまりは普通の現実。穴が開くほど近視眼的に作品に入り込んでしまった読者に対してうしろから肩を叩くような。


一方で、数多のスパイダーマンキャラを押しのけて興味を惹かれたのが今回のヴィランであるスポットというキャラ。これもなかなか歴史のあるキャラのようだけど、書きかけの下絵のような線に黒い穴が幾つも空いているビジュアルで、『合わせる顔が無い』というギャグも秀逸。顔が無い=空虚であることを誰もが一目で認識する。空間に空けた穴を通り抜け、穴から穴へ別の空間へ移動していき、ついには彼が自分に空いた穴の中へ飛び込んで、自分の中には何も無いと悟る瞬間は心底恐怖を感じた。無邪気ゆえに危うく、最終的に白黒反転してる禍々しさも。


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作画について
あらゆるところで語られまくっているので色んなアニメーターやらスタッフの記事などを読むのが楽しい。インタビューによるとアニメーションの指揮を執ったのはアラン・ホーキンスという人物。本作ではキャラクター毎に画風が異なるだけでなく、アニメーションのフレームレートが複数使い分けられており、例えばスパイダーパンク(最高!)のホービーは4種類もの異なるフレームレートで動いているそうです。

水彩画やインクのような滲みが心情とシンクロしたり、ダヴィンチが羊皮紙に書いたようなキャラが乱入したり、あるいは印刷のズレやスクラップブックに貼ったコラージュの質感など、前作とは比較にならないほど複数のレイヤーが折り重なっていて、
異なる画風、質感が同居するということ自体は他作品にもあるけれど、物語と切っても切れない関係に繋いでいるという構造が凄いよね。はっきり言って疲れる!!