ずどこんちょ

エノーラ・ホームズの事件簿のずどこんちょのレビュー・感想・評価

3.6
彼女は戦う女性。かの有名なシャーロック・ホームズの妹、エノーラ・ホームズです。
いいじゃないですか。フィクションの枠を飛び越えて世界一有名になった名探偵に、妹がいるという設定があっても。ユニークです。
世界観も素敵です。1800年代のホームズが活躍していた頃のロンドン。馬車が道を行き交い、自動車もまだ走り出したばかりです。選挙権もまだ貴族による一部の男性にしか認められておらず、市民が平等に投票できる権利を主張し始めている最中でした。国を動かす一部の男性たちは、選挙権のない市民を"教養がない"と決めつけ、その活動の広がりに危機感を感じています。
そしてそんな時代背景が二つの事件の動機へと繋がっていきます。

原作はティーン向けの小説なので、本作はどの世代にも安心して見られる作品になっています。
何より主人公、エノーラ・ホームズがキュートです。行動力があって活発なエノーラはこの時代の若い女性に求められていた花嫁教育を振り払って事件の渦の中へと飛び込んでいきます。勇敢です。
その上、命を狙われているかわいそうな子爵のことを、彼女は「守らなきゃ」と言うのです。まさに絶対的ヒロインの強さです。

彼女がそうした正義感と使命感で何にも縛られることなく飛び出すのは、まさしく母親の教育の賜物でしょう。
フェミニストだった母・ユードリアは女性の自立を掲げている先進的な母親でした。エノーラが幼い頃に父が亡くなり、上の兄二人ともすぐに自立して家を出てしまってからはそんなユードリアとエノーラが二人で暮らしていたのです。
ユードリアはエノーラの母親でもあり、教育者でもありました。
お母さんから教えてもらったことは、男に一方的に負けないための知識と化学と戦闘力。人を傷つける人から守るためのサバイブ力です。
ユードリアはエノーラをしっかりと愛し、その上で彼女を誰にも負けない軸のある女性へと育て上げたのです。幼いエノーラにも、容赦なく柔術やチェスで打ち負かす母親をヘレナ・ボナム=カーターが演じています。
彼女はユードリアからそのすべてを教えてもらっていたのですが、16歳の誕生日の日、母は忽然と行方をくらましてしまったのです。それにはユードリアが隠していた、ある重大な秘密が関係していました。

エノーラを演じるのは、ミリー・ボビー・ブラウン。
新世代の女性探偵の誕生を予感させる、チャーミングで印象に残るキャラクターでした。
エノーラは時折、画面のこちら側に視線を送って自分語りや推測を話したりします。やたらこっちに向かって喋りかけてくるのが、まるでエノーラのすぐ側にいる友人になったかのようで親近感を感じる演出です。彼女の冒険にずっと寄り添って付き合っているかのようでした。

そんなエノーラが長兄の押し付ける花嫁修行から逃げ出した先で出会ったのが、若き美男子、テュークスベリー子爵です。
彼もまた自分の未来を勝手に押し付けてくる家族から逃げ出し、自由を求めてロンドンを彷徨うのですが、エノーラが出奔したのとは違ってこちらの家出は国中に記事が飛び交う大騒動です。
テュークスベリーを追いかけてくる男は、彼を捕まえに来るのではなく、明らかに彼を殺しに来ています。テュークスベリーの存在は何者かの妨げになっている。
そう勘づいたエノーラは彼の事件の背景に隠された真相を辿っていくのです。

シャーロック・ホームズを演じるのは、ヘンリー・カヴィルなのですが、本作におけるシャーロックは主人公ではありません。あくまでエノーラの兄という存在。
もちろん名探偵としての手腕はこの世界でもかなり轟いているようですが、機転の利くエノーラはそんな兄シャーロックをも欺いて一本取ることもあります。
なんとも聡明な妹に対して期待を寄せつつ、シャーロック自身も長兄の面目を保つために間のバランスを気にしているのです。
母親探しを手伝い、花嫁修行から逃げ出したエノーラを追いかけ、そしてもう一つの大きな事件をも真実に迫っていきます。

さて、エノーラの身近な存在で最大の障壁が長兄のマイクロフトでしょう。シャーロック・ホームズに実在するシャーロックの兄です。
官僚のマイクロフトは先進的なユードリアとは真逆でめちゃくちゃ保守的で、先述したように"教養のない"市民層が選挙権を得ると国が破滅に向かうと本気で思ってしまっているのがマイクロフトです。
だからユードリアのエノーラに対する教育方針が理解できないし、古き良き文化と信じてやまない女性像をエノーラに嵌め込み、彼女を支配的に寄宿学校へと連れ込みます。
こういったヒロイン的活躍をする主人公を楽しむ我々にとって、マイクロフトの存在は憎らしくて仕方がありません。ずっとエノーラが画面のこちら側に向かって話しかけてくれていたから、なおさらムカつきます。それも演出の思惑のうちなのでしょう。

そして、この事件でテュークスベリーの存在を忌まわしく感じていたのが、こういったマイクロフトのような保守派の何者かであり、彼らは武力を持って平等を訴えようとする声を、その貴重な一票を封じ込めて改正案を廃案させようとするのです。
犯人も意外な人物でした。あの会話がミスリードだったとは。私は完全に騙されていました。

エノーラとテュークスベリーの活躍がなければ、世界は変わっていませんでした。世界が変わっていなければ、母たちが何らかの計画を遂行して武力による闘争がこの瞬間から始まっていたはずです。
エノーラの行動力と自分の進む道を信じる力が、世界を動かしたのです。
未来は自分で選ぶことができる。これもまた人間としての解放を信念としていた母の教えなのです。
母の教えを軸として真相に辿りつき、母の教えのおかげで命拾いした最後の闘いも素敵でした。

ラストではエノーラがまたこちらに向かって、「未来は自分次第よ!」と語っていなくなります。
自分の人生だけのことではありません。政治も、世界も、自分の行動次第で変わることがある。エノーラのメッセージが、どこまでも未来の可能性を感じられて清々しい気持ちになりました。