百合ちゃん

嵐ケ丘/嵐が丘の百合ちゃんのレビュー・感想・評価

嵐ケ丘/嵐が丘(1939年製作の映画)
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まとめると、『嵐が丘』に着想を得た全く別物のラブストーリーって感じだった。(『嵐が丘』と名乗ってはいけないレベルで違かった)

嵐が丘はラブストーリーじゃないというか、もはやそれを超えたものなのが良いところだと思っているけれど、ウィリアムワイラー監督はラブロマンスに解釈したのね。嵐が丘の人間の性格の悪さが10000分の1に薄まってるせいでいろいろと誤解を生んでる気がする...でも観た感じそれも監督がわざとやっている気がするけど...

キャシーが死んだところで終わっている(原作の2分の1のところ)、原作からのシーンはほとんど変更されていることに加え、映画オリジナルのシーンがたくさん付け足されているので、全っっくの別物。だから批判どうこうじゃなくて、なぜこういう風にしたのかが純粋にとても気になる!

私の好きなシーンがこんなにもカットされるなんて....監督と全然気が合わなくて笑った😂

カビの生えた引っ掻き傷だらけの本にキャサリンの名前が亡霊のようにひしめき光り、ロックウッドは夢を見る。そして目が覚めたらキャサリンの亡霊が冷たく白い手で彼の手を掴み、全く離してくれないので手首を割れたガラスに押し付け血がベッドに染み込むまで流れる...みたいな霊!血!いかにもゴシック!!っていう原作シーンはどんな風になってるのかなと楽しみにしてたのに、ほぼほぼカット.... あれは残念すぎた拍子抜けした😂

序盤の父が息を引き取るシーン、バチバチだった父娘なのに最後の夜は2人とも穏やかで、父は娘の子守唄を聴きながら娘の髪を撫で、そのうち眠りに落ちまま死んでいたという涙ちょちょぎれる個人的に素晴らしいシーンがあるのだけど、全部カットで医者がご臨終宣告するところしかなかった😂

【ウィリアムワイラー版 嵐が丘】

・この作品には色んな考察が飛び交う大きな謎『ヒースクリフは消えた後どこで何をしていたのか』があると思うのだけど、この映画ではアメリカに行っていたことになってた&その前にもアメリカへ消えたことがあることになってた(原作にはない)。なんでだろう?

・エドガーに求婚されたとき、原作では、キャサリンは最初からヒースクリフを魂で愛しているのを知っている。だからエドガーとの結婚を承諾してしまったことが悲しくて号泣するのだけど、この映画ではまだ結婚を承諾していない設定で、キャサリンはすごく嬉しそう。なぜこんな変更したんだろう?愛しているのはヒースクリフだって気付いた時の雷の演出はよかったけど。

・キャサリンはお転婆で生意気でいつだってヒースクリフと対等だから「あなたの奴隷にしてください」とか「大富豪になって私を救い出して私の王子様」なんて言わないと思う....というかそれらはブロンテ姉妹の作品で絶対ヒロインに言わせていけないセリフじゃないか?!

・ヒースクリフが戻ってきたあとの嵐が丘のパワーバランス...

・あれ?舞踏会なんて原作では一度もなかったよね?個人的には狭い人間関係っていうのがこの作品のミソだと思うけど、監督は華やかさのために入れたのかな?

・ジョゼフ普通の人間すぎてわろた

・ドラマチックな部分が全部変更カットされているのは何故だろう?キャシーが病気になった理由も、その病み方も、物語の重要な盛り上がるシーンだと思うけどなぜ無くしたたんだろう?たぶんラブストーリーにしたからそこを目立たせたくなかったんだろうけど...

・それで言うと、病んだキャシーが吹雪なのに嵐が丘の風を浴びたいからと窓をあけようとしたり、鏡の中の自分に怯えたりするゴシック的シーンごっそり抜けてるよな...なぜだ?(上で述べた重要な亡霊のシーンも)

結果: 『嵐が丘』に着想を得た全く別物のラブストーリーであって、『嵐が丘』と名乗ってはいけないレベルで違かった。個人的には原作の良いところ全部ぶち壊していると思う....😂 原作とここまで違くてもモヤモヤしないという大きな心を持っている人におすすめ!🥰