大道幸之丞

ショック・ドゥ・フューチャーの大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

1978年、友人の家に転がり込み、そこにあったシンセサイザーを触るようになってから作曲を試みるようになり、やがてそれを生業にしようと考えているアナが主人公。

場面はほぼ彼女の部屋だけ。

「音楽系青春映画」と言えるものだが、扱う音楽カテゴリがややエキセントリックだ。

「EDM」と書いてる者もいるが、結果的にそうなった源流とは言えるかもしれないが、この時点ではEDMでもなんでもない。まだ「得体の知れない奇妙な電子音楽」でしかない。だからやがて「ハウスムーブメント」経てEDMと言う言葉がやっと出てくるのだ。

Throbbing GristleやAksak Maboul など世に先んじてシンセを前面に押し出した先端ミュージシャン辺りを「Cool」として憧れている。インダストリアルやプログレが混じっているが、シンセを使ってるかどうかがポイントなのだろう。

まだシンセが一般的ではなく、ムーグやブックラが出たものの高価で、ローランドやヤマハの安価な日本製シンセやリズムボックスが出始めた「シンセブーム前夜」的なタイミング。

アナをかきたてるものとして「私達は未来の、先端の音楽をやるのだ!」という高揚感であろう

ただし結局振り返ると、フランスはエレクトリックミュージックでは遅れており、やっと出たTelexもシーンの傍流にしかなれなかった。

それにしても、友人らと日々新たなミュージシャンや音楽の情報を交換しあっているのが楽しいのだろう。こんな時期は誰しもあると思う。

レコード探しの会話の中で「一番やばいのは東京」という会話が出てくるがこの頃ならまだ北新宿でもなさそうしだし、どの辺りの事を言っているのか気になった。ちなみに当時日本では「東京NewWave」などのムーブメントが起こっていた。

しかし観ていくと彼女はまだまともな作曲も作品も完成させた事がない様子に見える。

作曲できるかのようにハッタリをかまして、そのプレッシャーで一曲作れたらいいとでも考えているのだろうか。その上でコネクションだけはつくり自身の存在を広めている段階なのだろう。実際現状はなんにも出来ていない。

ただしそのコネクションは盛りを過ぎたような年配の癖のある業界人男性ばかりで、彼女へは音楽的興味というより彼女の若くて美人な容姿が目的に観られるし、一様に何かと「理解者」として取り入ろうとしているのが窺える。

実はアナもそれは薄々気づきながらも逞しく「利用できるものは利用する」と割り切って考えているのだろう。

話の合う、気の置けない友人のクララと即興で曲に合わせて唄を録音してみて、それをパーティーで流し業界人に評を求めるも厳しい反応であったり、ここは「理解が出来て好きであること」と「才能があるかどうか」は別の話であるようなこれまた、「表現する仕事」に憧れる者は一度は経験する通過儀礼だろう。

本作はそんなまだ「ロック・ミュージック」から「パンクロック」が出てきてその間からシンセ・ミュージックが出始めて、バンド形式でなく自宅でアナのような女性ひとりでも音楽が作れる時代が到来しつつある。

しかし音楽業界では男性の力が強くなかなかままならない——という状況のスケッチのような作品だ。しかし大変おもしろかったし「自身にセンスがある。いつか世に出たい」と常に信じて生きている女性には大きな共感を得られるだろう。

「電子音楽の創生と普及を担った女性先駆者たちに捧ぐ」との献辞がエンドに出る。この映画の目的は彼女たちへ捧げるこの優しいまなざしなのだろう。