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私をくいとめてのマチのレビュー・感想・評価

私をくいとめて(2020年製作の映画)
2.8
みつ子を演じる能年玲奈さんの仕草、声色、表情があまりにも魅力的。こんな同僚や後輩がいたら仕事そっちのけでずっとかまっていたい。どんな事情があったにせよ、あの宝石のようにキラキラな瞳を観客から遠ざけていた芸能界のお偉いさん達の罪は重い。

同じ大九監督&綿矢りさ原作の2017年「勝手にふるえてろ」を観た人なら、彼女が主演する本作の公開に胸を躍らせた人は多いと思う。わたしもその一人だった。しかし、観終わったあとの感想を率直にいうと「微妙...」でしかなかった。
傑作「勝手にふるえてろ」よりは1ランク、2ランクくらいは下回る作品と言わざるを得ない。理由は2つある。

まず1つは構成である。本筋の輪郭をはっきりさせないミニドラマや挿話を細かく繋ぎ、結末へ向けて何も結んでいかないまま終わってしまう。この構造が本当に効果的だったのか疑問である。
途中までは何かの狙いがあるのかと観ていたが、短いエピソードが始まっては終わり、終わっては始まりを繰り返すうちに、みつ子という人物像が散漫になった印象がある。

盟友橋本愛との共演、橋本愛さんの美しさをあらわす以外に、イタリアエピソードはまるまる必要ない。飛行機が苦手という情報のほかに、みつ子の恋や人生に今後影響あるお土産があったわけでもなく、普通にチーズ買って帰国しただけである。

同じ三十代女としては「年下の男性に自分から想いを告げる迷い」、「多数の男性によるエロ絡みへの憤り」などにはもちろん共感できる。それらの感情が理由なく突然に昂ることも理解できる。ただし構成が練りあがっていない分、一つひとつのエピソードの成り立ちには、放っておいても勝手に共感してくれる観客層への依存が大きいように思えた。

2つ目は、批判覚悟に述べると、能年玲奈さんの一人芝居である。もちろん悪い芝居とも思わないし、相談役A(音声のみ)と共に外界に抗う様は、キャラクターにとても似合っている。ただ、少しでも演技をやった人なら心当たりあると思うが、一人芝居は見る以上に実践が難しい。誰も自分の演技を受けてくれないし、自分に向けて演技を仕掛けてもくれない。不安からくる情報過多な発声・動作になりやすく、演じるべき人物像から離れて、漫談じみた「定型」に陥ることがある。

以前この一人芝居が抜群に巧い俳優がいた。「勝手にふるえてろ」のヨシカ演じる松岡茉優さんである。彼女は「定型」を器用に避け、ヨシカの心理を一人芝居で見事に表現した。おそらく脚本とは別にサブテキストを準備して、ヨシカの背景を入念に設計したのだろう。いざ外界と接する時に、ヨシカがどういう畏れや不安を抱えて「イチ」や「ニ」と接し、どうしてそんな拙い言動を選んだのかがセリフでの説明がなくとも観客には理解できるようになっている。同級生たちとのマンション飲みでの孤立、そこから絵を描きだすシーンは、観客自身の過去に思い当たる似た出来事を、胸を掻き毟りたくなるくらいに想起させる。感情が誘発される導火線を、一人芝居をもちいて練り編んでいたのだ。

能年玲奈さんのみつ子は人と接する場面と、孤軍奮闘している場面の乖離が少し目立ち、この作品のぶつ切りの構成も手伝って、ヨシカほど人物の生々しさが立ち上がってこない。(もちろんみつ子とヨシカは性格設定上の違いはあるだろう)
臼田あさ美さん、林遣都さんらといる時に向ける眼差しや声、相槌が自然体で煌びやかなために余計そのように見える。天から与えられた個性と醸し出すオーラが眩しすぎて、いつまでも見ていたい引力があるものの、演技は人為的かつ後天的な営みでもあるために自身の魅力は客観的な取り扱いが必要なのだ。

それでもこの作品を機に、彼女の活躍する場がますます広まってほしい。詳しく調べていないけれども、この映画のためにテレビ等の番宣がどれほどあったのだろうか。色々と業界の事情があるのかもしれないが、能年玲奈さん(あと満島ひかりさん)が映画・ドラマに出演することは、多くの観客が待ち望んでいるのは確かなのだ。
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