みかんぼうや

私をくいとめてのみかんぼうやのレビュー・感想・評価

私をくいとめて(2020年製作の映画)
3.6
【ともに綿矢りさ原作、妄想女子が主人公でありながら「勝手にふるえてろ」とは似て非なる、より主人公の内省に寄ったラブコメの皮を被ったヒューマンドラマ。「あまちゃん」以来の、のんと橋本愛の友情関係にも胸が熱くなる。】

邦画ラブコメは最も観ないジャンルの一つだった私が、松岡茉優の神がかり的な演技で思いっきり楽しめた「勝手にふるえてろ」で、もう少し邦画ラブコメも観てみたいと思っていたちょうどその時に、レビュアーさんがコメントで教えてくださった本作。同じ綿矢りさ原作かつ“のん”が主役ということで、いわゆる超苦手な“キラキラ系恋愛コメディ”ではないことも予想され、安心してチャレンジできた。

のんが演じる主人公みつ子の恋を描く作品で、このみつ子は「勝手にふるえてろ」の松岡茉優が演じる主人公良香同様の妄想女子。なので、序盤は二番煎じの同じようなテンションとノリのラブコメになるのではないか、と思っていた。が、同じ妄想女子でも中盤以降の描かれ方で2人のキャラクターは実は大きく異なることが分かると、2作に対する印象も大きく変わっていった。

その決定的な差異は、本作のみつ子は、「勝手にふるえてろ」の良香に比べ、より内省的かつコンプレックスが強い人間であり、作品そのものもみつ子の内面に寄った表現もはるかに多いということ。それは冒頭から現れるAという彼女の中にいるもう一人の自分という存在にもよく表れている。

「勝手にふるえてろ」の良香ももちろん内省的でコンプレックスを抱える一面を持っているものの、この作品のみつ子ほどではない。良香は恋愛や人付き合いにもがきながらも、嬉しい時も辛い時も、自分が思ったことは外部(他人含む)に対して比較的ストレートに(ある意味素直に)発信していく。悩んで凹んでも、自分の中での対話の後は、比較的すぐに行動と他人とのコミュニケーションでそれを発散していく。

しかし、本作のみつ子は、それを外部とのコミュニケーションではなく、自分の中にいるAというもう一人の自分との対話で消化しようとする。消化しようとするのだが、うまく解決できずパンク気味になり思わず涙が溢れ出す。その最終手段として頼るのが、大好きな先輩であり、大学時代からの友人である。

つまり、良香は外部との接点を作り続けることで自分のコンプレックスや妄想をコントロールし、みつ子は自分との対話を繰り返すことで自分のコンプレックスや妄想をコントロールしようとする。でも失敗する。だから、私は本作のみつ子のほうがはるかに精神的にもがき苦しんでいるように見えてしまって、途中からは本作をラブコメの皮を借りた“自分の潜在意識と抗い苦しみ続ける女性”が主人公の少し重めのヒューマンドラマと感じるようになっていた。

そういった点では、自分のモード的に純粋に明るく楽しい(もちろん辛い場面もあるが)ラブコメを期待してた分、「勝手にふるえてろ」のほうが気軽に観ることができ、その中で喜怒哀楽がはっきりしていてストレスを外部にぶつけていく松岡茉優の演技と良香のキャラクターのほうが“映画として観ている分には”気持ちも明るくなれ爽快感もあったので、個人的には好みだった。

しかし、これは完全に自分が“その時に観たかった映画”の問題。今作のほうが面白いし共感できる、と思う人がたくさんいても全く不思議ではない。先にも書いたとおり、ただのラブコメで終わらない、一人の女性の内省的なもがきを描く作品として考えると、興味深く面白い作品だと思う。そして、松岡茉優と対比して最初は若干“コメディ的な勢いのなさ”に違和感を持っていた“のん”の演技が、みつ子のキャラクターを理解するにつれ、どんどんピタッとハマる見事な演技であることに気づかされ、改めて彼女の演技の凄さを感じることができた。

最後に一つ。本作はのんと橋本愛が、あの「あまちゃん」以来、長年の親友という役どころで共演している。それだけでも嬉しいことだが、この2人がお互いの心の内を本音でぶつけ合うシーンがあり、その言葉のやりとりが、どこか、実際ののんと橋本愛が「あまちゃん」以降に歩んできたそれぞれの道を想起させるような、なんとも胸に沁みる会話だった。

私は「あまちゃん」を全部観たわけではないが、7年経ち、その後にのんのキャリアの中で色々なことが起きても、2人がこのような形で親友という役柄で共演していること、そして、橋本愛が本作での共演に際し各メディアで「玲奈ちゃん」と呼び続けていたことに、何か嬉しくも胸が締め付けられるような思いがした。
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