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僕と頭の中の落書きたちのandyのネタバレレビュー・内容・結末

僕と頭の中の落書きたち(2020年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

まず、この作品に感謝したい事は、統合失調症から生じる幻覚や幻聴を可視化してくれた事です。私の拙い想像力を補ってもらいました。作品中の幻覚の3人や悪魔みたいな声が、分かりやすいメタファーのように感じました。

また幻覚、幻聴は、それが見えない、聴こえない者達の側の言葉である事に気づかされました。統合失調症の彼・彼女達には、幻覚・幻聴も現実世界との線引きが困難なもう一つの現実世界なんです。それを分かり易くこの作品は示してくれました。

脳の疾患によってではありますが、幻覚の3人はアダム自身が生み出したもので投影だと思いました。また自らの中に複数の別人格者が住み着いている感じでしょうか。しかし、これは統合失調症でない人間との程度の差のように思いました。みな大なり小なり別人格の自分というものを内包しているのではないでしょうか。アダムの場合、それが実態として見えてしまうぐらい強烈すぎるのかも知れません。故にルームメイトのような感覚で「現実」世界に同居してしまい、「統合」できずにいる。

アダムは幻覚・幻聴の世界では、悪魔の声の主が現れると、3人(レベッカ、用心棒、ホアキン)がいつも助けに現れてくれました。一方、現実世界では母とポール、マヤ、神父が助けてくれました。
アダムは幻覚・幻聴世界と現実世界の両方で、悪魔の声や世間の偏見の目と日々戦っていましたが、同時にどちらの世界でも支えがあり、何とか生き延びできました。

もちろん一番しんどいのはアダム自身で孤軍奮闘しているのですが、最後にポールの手紙によって自分が多くの人に支えられていることを知りました。それは同時に自分は孤独ではないという安心感を感じ取れた瞬間であったと思います。卒業式でのアダムのスピーチは、自分自身が強い意志を持って悪魔の声の主と対峙した瞬間でした。神父の言葉「自分のことを信じるんだ」が支えになったかのように、自分が統合失調症であることをみんなの前で述べます。

告解の目的について神父は答えます。自分の欠点を認めることは、欠点と向き合う機会と強さが与えられると。アダムは統合失調症の自分に、実は向き合えていなかったのではないでしょうか。病名を隠すことや発作を抑えることに精一杯で、自分自身と本当に向き合う余裕など無かったと思います(これは本人だけの問題ではなく、彼を受け入れる環境の問題も大きいです)。

新薬の治験の効果で幻覚・幻聴は抑えられても無くなる訳ではなく、ずっと居続けていました。アダムは最後に気づいたはずです。レベッカ、用心棒、ホアキンは自分自身であることを。また、自分自身を守るためにアダム自身が3人を作り出している可能性にも気づいたはずです。また悪魔の声も自分が作り出したということもです。だから消せる訳がないんです。これからもルームメイトとして同居していくしかないんです。但しそれはネガティブなものではなく、自分と向き合った一つの結論として受け入れたんだと思います。

ここまで書いて気づいたことがあります。上記のことは統合失調症のアダムに限った話ではなく、私たち全員に共通していることばかりです。アダムの統合失調症の世界が深くリアルに描かれるにつれて、統合失調症の人とそうでない人との境界線が曖昧になっていく感覚になりました。アダムは統合失調症の人の代表だけではなく、私達自身の代表でもありました。
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