note

ブレスレット 鏡の中の私のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

ブレスレット 鏡の中の私(2019年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

16歳の少女リーズは親友のフローラを殺した罪に問われて裁判にかけられる。彼女の両親も当然ながら我が子の無実を信じ、何度も法廷に立つ。しかし裁判が進むにつれ、友人たちの証言から両親も知らなかったリーズの交友関係や私生活が明らかになっていき、自分たちの知らない娘の顔に両親は思い悩む…。

法廷ものに「外れ」は少ない。
事件の真相を追求すること自体がサスペンスであるからだ。
裁判の最中らしい化粧気の無い女性が映ったポスタービジュアルと、装飾品である「ブレスレット」という題名のアンバランスさに疑問を持ち、鑑賞。
「ブレスレット」とは容疑者である少女が逃亡をしないため足に巻いたGPS発信機の事だった。

だが、本作の主人公はどちらかと言えば、容疑者の両親である。
親友を殺した罪に問われた主人公の少女をめぐり、自分たちの知らない娘の姿に戸惑う両親の姿を描いたサスペンスドラマの佳作である。

冒頭、家族で仲良く海水浴をしているところに警察が現れ、娘リーズを連行。
家族の時間を大切にして来たと思われるリーズの両親は、何かの間違いだと娘の無罪を信じて疑わない。

順調に見えた裁判だが、徐々に友人らの証言から16歳のリーズと親友フローラを巡る交友関係、奔放な性事情が明らかになっていく。
飲酒・喫煙を伴うパーティーに、男とのポルノ動画の流出、加えてフローラとの同性愛、誹謗中傷を伴うSNS…。
劇中の裁判での証拠となる動画や証言は、まるで他人の恥ずかしいプライベートを覗くよう行為で、とても気まずくなる。

フローラがネットに動画をあげたことから、リーズとの喧嘩による怨恨、または男との痴情の絡れからリーズがフローラを殺したのでは?という疑惑が持ち上がる。

初めて知る(知らなかった)娘の姿に両親は戸惑う。
検察官の質問に動揺せず、淡々と答え続ける娘に対して、本当に自分の娘なのか?と両親は驚きを隠せない。

検死の結果、殺害されたフローラの体からはリーズのDNAしか出てこなかった。
事件のあった夜、フローラの部屋で寝てしまったリーズの横にフローラがやって来て、そのまま肉体関係を持ったとリーズは語る。
しかも、それが初めてではない。
年頃の娘の興味本位の乱れた性は、親の立場としては相当なショックなことだろう。

淡々と証言するリーズの口からは「やっていません」と感情を剥き出しにすることもないのが「恐るべき子ども」の不気味さを煽る。
検察官の言葉がぐさりと心を抉るかのように襲いかかるも、いずれも状況証拠だけでリーズがフローラを物的証拠が何一つ出てこない。

問題は犯行に使われた凶器が見つかっていないこと。
検察はリーズの別荘にあったナイフのセットのうち、一つがないことに目を付ける。
やがて、自宅のガレージで事件の凶器と思われるナイフをリーズの弟が見つける。
そして提出されたナイフからは、フローラの血は検出されなかったことでリーズは無罪を勝ち取る。

事件の責任は明らかにリーズにもある。
最後に自らネックレスをGPS発信機の代わりに足に巻くリーズ。
実はリーズが犯人だと示唆しているとも考えられるし、犯人ではなくても親友の死に対して自分への戒め、弔いの意味を込めて巻いたとも考えられなくはない。
様々な解釈ができるが、事件の真相は観客に委ねられている。

リーズが怪しいことは確かなのだが、決定打となる証拠が見つけられないため「尻軽女」だとか、彼女のアンモラルな部分ばかり執拗に攻めてくる検察官と、リーズとフローラのレズビアンの部分も証明し、セックスには開放的だったと主張するLGBTQにも理解がある心の広い老練な女性弁護士との法廷での攻防はスリリングで見応えがある。
女性同士の法廷での戦いと、性趣向差別を問う設定は現代的で新鮮だ。

結局、犯人は分からないまま映画は終わるのがサスペンスやミステリーとしては大きな不満が残るのだが、本作が描きたかったのは事件の真相ではなく、親と子の解離と16歳という多感な時期の危うさにあるのだろう。

最初父親は、娘のことを信頼し、娘は親に何でも話していてくれると思っていた。
しかし、娘の知らなかった一面を知り、動揺を隠せず、あまりにも淡々としている娘の姿を妻に話す。
起訴事実のショックに、仕事を理由に裁判をズル休みしていた妻も動揺する夫をみて裁判に出向く決意をする。

母親は裁判で娘の青春が奪われたこと、娘を信じていることを訴えるが、母親が裁判を休んだことに対し、育児放棄ではないのかと裁判官は詰め寄る。

知らなかった娘の姿に動揺する父親と、信じているとは言うものの肝心な所には目を向けないでいる母親。
両親は娘を個人(大人)として扱い、理解は示すものの「なぜ?」と娘に問うこともなければ、夫と妻の間に育児に対する後悔の涙や感情の吐露もない。
ドキュメンタリータッチの淡々した演出と、(ワザとなのだろうが)表情に乏しい両親の演技がまるで子どもへの無関心に見える。

そんな様子から、仕事にかまけて思春期の子どもたちのことを何も知らない親に「ただ衣食住を与えて、養ってさえいればそれで良いのか?」と現代の親の躾や教育能力の無さを訴えてくる。
自分もそうなってはいないか?と、親の立場としては非常に心が痛む作品である。
note

note