TnT

アル中女の肖像のTnTのネタバレレビュー・内容・結末

アル中女の肖像(1979年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

 全てのくだりがワンテンポ以上長い。ゆったりではなく間延び。同じ下りを繰り返したりもそう。それでもなんか、可愛い瞬間とか画だけ異様に強度があったりして最後まで見てしまう魅力があった。

 保たれるのはその時の映える画のみ、それはストーリーさえ度返ししてしまうほど自立していて、リアリティラインをどこに置くかもどこ吹く風。そもそも、アル中がこんなに可愛いわけがない(俺妹みたいな表現になってしまった)。同一シーンでもカットごとに服装をお好みに変えて、主人公に惚れ惚れする監督を感じたりするのだ。圧倒的美には無駄口叩かないでほしいみたいのは、後期ゴダールがよくやる手口と似ている(つまりモデル的で人格の与えられない存在)。

 ローテンションにあちこちめぐり、その土地の辺境を味わうのは、ジャームッシュ的というか「バグダッド・カフェ」的というか。可愛い子には旅をさせろ。如何にめちゃくちゃでも旅行気分で結果鑑賞後なんか楽しかった気になる。

 ニナ・ハーゲンってこんなに可愛かったっけ?初期からすこしたってニューウェーヴ期なんだろうけど、バカ可愛い。「ひなぎく」的ゴスっぽいぶりっこに弱いのかわかんないけど、まじで良い。監督もそう思ってるのだろう、ニナは顔見知りでも無い主人公たちにファーストコンタクトで大親友みたいに触れ合うのだから。可愛い女はすぐに仲良くなる、いやなりたいという監督の願望か。エディ・コンスタティーヌもちらっと登場(しかし、ニナ・ハーゲンの比重と比べるとカメオ出演程度だったが)。監督が同性愛者かはわからないが、実際同性愛も出てくるし、主人公が男装の役者であったりしてヒゲとか描いてるの、かなりそれっぽい。そうでなくても女性を愛でる視線が無ければ描けないだろう可愛さに溢れている。

 「ひなぎく」のような女性監督の描く女性だけの世界と、無邪気さ、映像の外連味。あと監督は”現象”好きと思われる。濡れる鏡やガラス、反射する鏡、割れるグラス(割りすぎ)、キラキラフェチを締めくくるラストの鏡をバリバリ踏むシーン。それぞれ象徴的な意味もあるっちゃあるけど、キラキラやそうした現象への嗜好が炸裂してる。ビジュアルだけで持たせる映画というのもなかなかである。このあいだみた「Possibly in Micigan」といい、女性監督の描く作品の系譜もあるように思える。そう言えばマールタ監督の「ユリとマリ」らへんも女性同士の関係の近さが共通するように思える。これら共通するのは、女性同士の絆の復権(格差や男性中心の社会の体裁を気にしないこと)にこそ自由があるということが描かれていることかもしれない。

 監督が直々に登場し、リプスキー(誰?)と酒についての本で、オカマをなだめる。その本が転々と受け継がれるのは面白いし、監督の意思を引き継ぐというのが描かれてるように思う。ちょっと精神分析的になるかもしれないが、今作は男という存在を一旦度外視することで女らしくあれるという理想の世界だったのではと思える(劇中でも「男は酔っ払っても様になるけど女がそうだと無様と言われた」というような台詞があった)。男である存在はほぼ登場しないし、象徴的に出てくる姿は小人であり、マチズモを削ぎ落とした存在であり、しかも夢らしき世界にしか出てこない。女性らしさの解放としてのニナ・ハーゲンの起用も納得。当然同性愛も描かれるべきだ。またそれをとやかく言う保守的な女性像(三人組)も検閲官的役割で登場する。女性がらしくあれる世界を試行錯誤した作品としてしっかりと作られていたと思い返してみると思えるのだった。
TnT

TnT