【放浪が性(さが)の女『寅さん』】
放浪するに至った経緯は、
やむを得ない事情だったり、
持って生まれた癖だったり、
色々あると思うが、主人公のファーンのように各地を転々とする車上生活者には、後半の『寅さん』に通じる哀愁を感じた。
途中、姉の家に寄る場面は、葛飾柴又を思い出した。一緒に住もうと姉に誘われた際、[一つのところに留まれない]と云う放浪癖、抗えない性(さが)がファーンの中にあって断ったシーンに、それを感じた。
だけど本当は、家族のことが大切で大好きで、時々写真やスライドを愛おしく見るシーンが切なかった。
あと、デイブとの一連のくだりも、『寅さん』だった。
惹かれあいながらも、一つっところに落ち着けない性分が勝り、怖さもあって自ら去ってしまう…
正に、モテてる時の『寅さん』そのものだった。
大きな違いは、目の前に砂漠が広がる[帰る家]があるところ。でも、その場所は、大好きな人がいなくなった伽藍堂。だから、ファーンは彷徨っている。少しだけ、『めぞん一刻』の響子さんに似ていると思った。
おそらく、年を重ねた人ほど染みるオススメの映画です。