老いたアメリカ。
70年代ヒッピーの夢を紡いだイージーライダーの対になるような映画。
上映中、ボブディランの風に吹かれてが頭の中をリフレインしていた。
バイク×若者×自由からキャンピングカー×老人×死へ。
ヒッピー時代に若者だった者が旅をし続けた成れの果てを見ているようだった。
複数人物が登場しながら、誰一人直接的な「死」が描かれない。
死期間近でも、「またどこかで会おう」と別れていく。
その人は死んだかもしれないし、まだ生きてるかもしれない。
誰かの中で生き続ける。ノマドという生き方。
もしかしたらこれが永遠ということかもしれない。
「旅を通して、沢山の素晴らしい瞬間に出会った。カヌーで川を下り、目の前にペリカンが降りたったり、アラスカの素晴らしい大自然を目の当たりにした。またアラスカに行きたい。アラスカに行ったら、自分のやるべきことをやるだけだ」
死の間際、やり残したことがないと思えたら花丸か。
ノマドもフリーランスも同じ、自由の代償は大きい。
過去の夫との思い出を引きずり、思い出と旅をする。当時使っていた皿は、砕けても必ず修理する。しかし、時間とともに過去は少しづつ壊れていく。新しい出会いもある。
排泄、仕事、洗濯、工事、運転、出会い、別れ、調理。
人間を人間たらしめるのはどこか。
あらゆる仕事が自動化され、富裕層が増税を拒否した時、はたしてベーシックインカムや年金生活は成り立つのだろうか?
インディアンが見た大地を追体験したかのように美しく写し取られたアメリカの地。
海外に旅に行けない今だからこそ、見るべき映画かもしれない。