大分前に観た、下書き放置し過ぎの供養文。
「ホームレスじゃないの。ハウスレスなの」
ノマドウォーカーは『ホームレス』という言葉を使いたがらない。
あくまでバンがホーム。
ジャーナリストのジェシカ・ブルーダーが3年に渡ってノマドウォーカーを取材したルポが元になってはいるが、映画は彼女が取材したアマゾン倉庫での労働環境など社会問題については全く触れておらず、多分そこはあえて排除した、のだと思う。
ファーン(フランシス・マクドーマンド)がノマドウォーカーになり、徐々に顔見知りが増え、交流が生まれ、車中泊のテクニックや、季節労働者として渡り歩く広大なアメリカの大地、体ひとつでどこまでも行ける(死に場所まで自由だ)という魂の放浪の話にしたかったんだろうと思う。
彼女は最後に失くなった夫の思い出すらも、彼と暮らした今では寂れた町へそっと置き去りにして再びバンに乗り走り去ってゆく。
ノマドウォーカーの生活は気ままな放浪ではないし、稼がなければ生活は続けられない。
そして彼等は概ね高齢だ。
いつまで働けるか、いつまで今の健康を維持しながら放浪生活を続けられるのかは心許ない。
広大な自然と、何処かでまた出会うかも知れないだろう予感を伴う交流と別れを繰り返してゆく生活、自由だけどどこか不自由でもあるなあと。