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ノマドランドのlentoのレビュー・感想・評価

ノマドランド(2020年製作の映画)
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クロエ・ジャオの生み出す、映画としての語り口の上質さについては、前作となる『 The Rider』(2017年)から、静かな感銘を受けるように知っていた。そして、この『 Nomadland』からも、やはり同様の印象を僕は受け取った。

舞台の背景となるのは、2008年に生じた「リーマンショック」であり、フランシス・マクドーマンド演じる主人公のファーンは、その際の急激な不況の煽りを受けた1人として描かれている。また、原作は『 ノマド: 漂流する高齢労働者たち』というノンフィクション作品であり、映画のアウトラインも基本的にはノンフィクション・タッチとなっている。

しかしいっぽう、前作『 The Rider』でカウボーイの生活をノンフィクショナルに描きながらも、作品としての内奥には、どこかフィクショナルな象徴性が宿っていたように、この『 Nomadland』もまた、映画の語りが進むにつれて、ある社会現象(ノマド:放浪者)を超えるように、人が個人として抱える魂の原野のようなものに触れていたように感じる。

象徴的なシーンとしては、ノマドの仲間であるデヴィットの家を訪ね、彼の息子や孫と共に、穏やかに幸せな時間を過ごしながらも、暖かいベッドから抜け出し、ヴァンの車中泊に戻った場面。また、姉の家で交わした、姉妹としての会話もそうなる。

ファーンをノマド(放浪者)へと向かわせたのは、社会的で経済的な苦境がきっかけであったとしても、その生活を持続させたものが、深く他の場所にあったことが静かに語られる。

そうした意味では、『 ザリガニの鳴くところ』(オリヴィア・ニューマン監督, 2022年)に描かれた「marsh(湿地)」と、綺麗な対称性を描いてるように思う。移動しない女と、移動し続ける女。

もしも、社会現象を投影したノンフィクション作品であるなら、女は女でしかない。男が男でしかないように。しかし本作には、クロエ・ジャオという、アメリカで活躍する中国国籍の女性のまなざしが深く宿っており、ファーンとして造形された女は、おそらく自身の(それは言うに言われない)何かが託されている。

その混沌とした何かが、普遍的で象徴的なものとして、僕の心を深くうつ。

移動するmarsh(湿地)。もしくは、marsh(湿地)が深く喪失されたとき、女は移動し続けることになる。けれど、どのように名づけてみたところで、混沌は混沌のままに残される。

そこに宿る美しさは、手に触れられることを拒むように、彼女が彼女として生きるかぎり、彼女と共にある。
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