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ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

3.6

このレビューはネタバレを含みます

窃盗犯のウィリアム・オニールは刑務所送りを免れるためFBIのスパイとなる。ブラックパンサー党のイリノイ支部に潜入し、カリスマ的指導者フレッド・ハンプトンに近づく。その政治手腕で頭角を現しつつあったハンプトンは、J・エドガー・フーバー率いるFBI捜査当局ににらまれていた。

1960年代後半から70年代のアメリカで、急進的な黒人解放運動を展開した政治組織「ブラックパンサー党」の指導者フレッド・ハンプトンが暗殺されるまでの日々を描いた実録ドラマの佳作。

本作は「ブラックパンサー党」を知る絶好の教材と言えるだろう。
貧しい黒人を白人差別や警察官の横暴から自衛するために結成された黒人による組織だということは知っていた。
自分たちを不当な差別から守るためには武装することもやむを得ないとして来たことも。
「暴力も止むなし」とする過激な側面は様々な映画作品でも強調されていた。
そこだけ切り取ればFBIが反乱分子と取るのも仕方がない。

だが、共産主義を信奉し、ソ連のように革命による差別解放を提唱していたことや、また貧困層の児童に対する無料の食事配給や、治療費が無料の病院建設など慈善活動をしていたことは、本作で初めて知った。
理念だけでなく、しっかりとした倫理的行動が伴っているのだ。
どこぞの政党はコレを見て反省すべきである。
我々見る者もFBIと同様、本質を見抜いていないことに気付かされる。

やがて、オニールは持ち前の勇気と巧みな話術でフレッド・ハンプトンから信頼を勝ち取り、支部のセキュリティリーダーに任命される。
生き抜くことで精一杯のチンピラだったオニールには政治信念など無かったが、ハンプトンの近くで時間を過ごすうちにFBIが危険視ししているブラックパンサーは果たして本当に悪なのか?分からなくなっていく。

オニールはブラックパンサーとFBIの間を巧みに立ち回るが、やがてその心に葛藤が生まれ、自身の良心に従って同胞と行動を共にするか?FBIからの命令に従うか?思い悩む。

その間にも警察と党員との銃撃戦に出くわしたり、何度も命の危険にさらされるオニール。
煽るわ、撃つわ、爆破するわ、現代の警察による黒人差別が甘く見えるぐらいの当時の警察のやりたい放題に呆れる。
国全体が人種差別に溢れていたら、そりゃあ武装して身を守ろうという気になる。
ブラックパンサー党のような武闘派集団が生まれたのも無理はない話である。

オニールはスパイを辞めようとするが、FBIは「奴らにスパイであることがバレたらお前の命はどうなるかな?」などとオニールを脅し、スパイ活動を強制的に続けさせる。
やがてFBIは後に引けなくなったオニールにハンプトンの飲み物に薬を混入させるよう命令する。

終盤の「同胞のためには生命も惜しまない、共に立ちあがろう!」と訴えるハンプトンの演説は鳥肌モノ。
その横で傍聴するFBI捜査官とずっと視線を合わせるオニールの緊張感溢れる構図はまさに題名通り、裏切り者のユダと救世主が並ぶ本作の見せ場である。

同事件の闇が深いのは、FBIがフーヴァー長官の命令を受けて、ハンプトン暗殺と仲間の虐殺を行ったこと。
オニールは、黒人解放運動の象徴である一人が自分のせいで死んでしまった、黒人を裏切ったという自責の念をずっと抱えて生きたことだろう。
何とも重苦しいエンディングである。

実録タッチであるがゆえに、実際に行われたこと以外は、憶測は排除したのか?人物の心理描写をボヤかした演出なっているのが、やや不満。

オニールがハンプトンに実際、薬を盛ったのかどうか定かではない。
贅沢を言えば、大袈裟と言われるだろうが、オニールの裏切りに対する独白や感情的な激しい葛藤や、「スパイのお前も所詮は黒人だ」とオニール個人にも向けられるFBIの残忍性が加わっていたら、もっとドラマチックになっていただろう。

こうした先人の犠牲の上に、公民権運動が成り立っていったこと思うと「2度と同じ過ちを犯してはならない」というメッセージが強く感じられる。
ましてや、裏切り者などあってはならないと。
もしかしたら、キング牧師にもマルコムXにもユダがいたのかもしれない。
本作は白人による差別と同等に、黒人が身内への警告を発しているのが良い。
人種間の緊張を煽るだけの物語ではなく、非常に内省的である。
スパイク・リー・チルドレンであろう監督の今後に期待したい。
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