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アイダよ、何処へ?のchiakihayashiのレビュー・感想・評価

アイダよ、何処へ?(2020年製作の映画)
4.7
@試写
 敵対する民族の女性を収容し、妊娠するまで強姦して子を産ませる〝民族浄化〟と名付けられた出来事が起きたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。組織的に作戦として行われた性暴力は「後世まで民族間の和解の可能性を消し去るため」(!)だったという。

 その被害当事者となったひと組の母と娘のその後を描いた『サラエボの花』(’06年)でデビューしたヤスミラ・ジュバニッチ監督(1974年生まれ)が、ドキュメンタリーも含めて4本の映画を手がけた後に、「戦後ヨーロッパ最悪の集団虐殺事件」である「スレブレニツァの虐殺」に真っ向から取り組んだのが本作。

 スレブレニツァは東ボスニアにある町。ボスニア内戦の最終局面にあたる1995年7月、数日間で8000人に及ぶボシュニャク人(ムスリム人)男性が殺害された。本作はそのうち、市街地から7キロほど離れた国連保護軍オランダ部隊の本部からセルビア人によって〝移送〟されたあげくに1000人以上の男性が虐殺された事件を、登場人物や会話には創作が含まれるものの、当時撮影された映像などをもとに慎重に再現している。

 ちなみに残り計7000人余りの犠牲については、翌8月になってアメリカの軍事衛星の画像解析で様子がわかったのだという。「それまで写っていたボシュニャク人の捕虜の集団が消え、[発掘されることを想定して殺害現場とは異なる場所に遺体を埋めたり、一度埋めた場所から掘り起こして移動させたりという隠蔽の工作によって]掘り起こされた地面の形状が確認できたのだ」(西浜滋彦氏のパンフレットへの寄稿による)。

 ヒロインのアイダは元教師で、国連保護軍の通訳を務めている。スレブレニツァは国際連合によって攻撃してはならない「安全地帯」に指定され、当初は人道支援物質の輸送支援が中心だった国連保護軍(UNPROFOR)が攻撃を抑止する任務も担うことになっていた。が、国連の警告を無視してムラディッチ将軍率いるセルビア人勢力のスルプスカ共和国軍がスレブレニツァへの侵攻を開始、オランダ軍の本部には避難民が殺到する。最初の5000人ほどは敷地内に受け入れられたが、門の外側には約1万5000人の避難民がひしめくことになった。

 アイダの息子のうち1人はかろうじてゲート内に入ったが、夫ともう1人の息子はゲートの外に残された。ムラディッチ将軍との交渉に臨む民間人の代表が募られ、アイダは歴史の教師であった夫こそ適任だとオランダ軍のトップである大佐に進言して、2人を迎え入れることができた。が、その交渉は茶番劇も同然で、やがて何台ものバスが施設に送り込まれ、セルビア兵が無理やり避難民を男女別に引き離してバスに乗せていく事態になる−−−−。

 軽武装のオランダ軍に為すすべはなく、大佐は国連本部などへ支援を要請するも見捨てられ、遂には自室に閉じこもってしまう。アイダは必死に家族を護ろうと、夫と息子たちをもぬけの殻になった施設内に隠し、さらには国連職員のリストに自分だけでなく夫と息子たちの名前を載せようと、それこそ狂ったように画策に奔走する。が、「国連職員のリストが信用されないということになれば、全員が危険にさらされてしまう」と阻まれてしまう・・・・・・。

 本作の主人公は女性でなければならなかったろう。男性が主人公であれば、これまでと同じ政治的な力学にはまり込んでしまう。アイダは、通訳という2つの異なる世界を橋渡しする役割だが、あくまでも黒子に過ぎず、およそ相容れない2つの世界の間でただ翻弄されるしかない。そして、もちろんアイダの軸足は自らの家族にある(逆に言えば、争っている男たちは家族という私的領域を、あたかも存在していないかのように、二の次にしているのだ)。国連職員という特権的でもある地位にあって、アイダはひとりの母親であり妻である自分を前面に押し出して全力で行動する−−−−。
 
 「私はフェミニストとして、戦争は男性によるゲームだと思っています」「殺人マシンには性別があり、それは男性です」「この映画は家父長制や官僚主義に支配された戦争の構造を描いています」と監督は語る。

 虐殺の翌月の8月、NATOによる大規模なセルビア人勢力に対する空爆で、戦況は劇的に変化し、アメリカが和平の仲介に乗り出す。11月には和平の合意が成立、12月には正式調印。翌1996年から、虐殺の犠牲者の遺体発掘作業が始まる。その遺体を確認するのは遺された女性たちの役目だった・・・・・・。

 ボスニア内戦は〝民族紛争〟と言われる。が、ボシュニャク人(イスラム教徒、人口比約44%)、セルビア人(セルビア正教徒、人口比約31%)、クロアチア人(カトリック教徒、人口比約17%)は顔つきでは区別がつかず、言語もごくわずかの差しかなく、異なった民族間の結婚も珍しくなかった。にもかかわらず、凄惨な内戦となったのは、ユーゴスラヴィア連邦が崩壊し、「社会主義のイデオロギーに代わり人々を束ねる手段に、唯一の差異と言える宗教」が持ち出されて民族主義が煽られたのだという(西浜滋彦)。

 ボスニア・ヘルツェゴビナの地方政体であるスルプスカ共和国政府は2004年、調査委員会を設置してスレブレニツァの虐殺を認める報告書をまとめ、正式に謝罪。しかし、2018年、同共和国議会がこの報告書を拒否する決議を採択、政府はこの報告書を撤回することを決定。

 ボスニアは年に1本の映画しか製作されないような国だが、本作はヨーロッパの9カ国が共同製作。そこには、この歴史を否認させず、普遍的な教訓とする意思が働いている。

 この6月に旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所の控訴審で終身刑が確定したムラディッチ将軍に扮したボリス・イサコヴィッチとアイダ役のヤスナ・ジュリチッチは実生活ではパートナー。2人ともこの映画に出演したことで母国では非難や圧力の的になっているという。
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