大道幸之丞

アイダよ、何処へ?の大道幸之丞のネタバレレビュー・内容・結末

アイダよ、何処へ?(2020年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

日本人はこの映画をどう観るのでしょう。

私の恩師はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)から代議士になった方で、まさに1995年のこの「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争」でNATO軍によるセルビア人勢力への空爆を日本政府の立場で論陣を張っていました。

——この物語は内戦の最終局面にあたる1995年7月11日から13日にかけてが描かれており、翌月にNATO軍が空爆をはじめアメリカが和平の仲介に乗り出し11月に3民族は和平に合意します。1984年冬季オリンピックが開催されたユーゴスラビアのサラエボはここの首都です。

この紛争はセルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人がボスニア・ヘルツェゴヴィナ内で陣取りをし合う形で紛争になりました。

表向きは宗教の違いが原因のように語られますが、社会主義国家であったユーゴスラビア崩壊後、政治基盤を維持するために意図的に宗教の差異を利用したのが真相です。

中でもセルビア人はボシュニャク人の男性を虐殺し、武装兵士による女性への集団レイプの上で本人の意志に反し出産を強要され、後世まで怨恨が続くことで和解の道を絶とうと作戦としてまさしく「悪魔の所業」が行われていました。

被害者女性の苦悩は本作の監督ヤスミラ・ジュバニッチの初長編映画『サラエボの花』で描かれています。

劇中でセルビア勢力側が用意したバスにボシュニャク人の女性と子供が乗せられますが、引き離された男性千人ほどはその後行方不明になりました。銃殺の上で虐殺の事実を隠蔽するために何度も遺体の埋め替えをしたために、遺族は亡くなった家族の遺骨を今現在も探し出せていないケースもあります。

さて、この映画では通訳として国連に雇用されている元教師の『アイダ』を中心に描かれています。

突如としてスレブレニツァにセルビア人勢力が侵攻。やむなく『森』に逃避する者と国連の基地に向かう者がいますが、この時点ではNATO軍が対応に及び腰で現地の管理を担うUNオランダ軍の要請と約束(最後通牒)にも関わらずセルビア人勢力への空爆を実施出来ません。

ただし何人現地に送り込むかはオランダ政府の判断であり(後にこの件でオランダ政府は罰金を課せられました)ここの落ち度もありました。

約400人のオランダ軍に対し2000人と数で勝るセルビア人勢力がのさばり表面上民主主義的な体裁をとりつつ一方的に傍若無人な振る舞いをします。

アイダの自分の家族だけを守ろうと食い下がる行動に理解できない方も多いでしょうが、国連の職員はそれだけで特別扱いされる余地がないわけでもなく、オランダ軍がここは意固地に拒否していると感じました。

この虐殺劇はウイーンから実に500km(東京ー大阪間程度)という欧州の大都市から遠くない場所で公然と行われていたのです。

現在も3民族間は表面上は共生の道を歩んでいますが、内面には大きな溝もあり個々人は難しい課題を抱えていますが、彼らは相手を虐殺仕返しても問題が解決ないことを識っており、連帯こそが忌まわしい紛争を再び起こさせない唯一の手段である事を信じているのが立派です。

この映画のラストでは過去の紛争を知らぬ子どもたちの未来に懸けるアイダの視線があります。

地域紛争は常にルワンダやイラクのように無理に民族間の差異を利用し憎しみ合わせる構図があります。

日本人も実際は差別的な思考が強い民族です。簡単に『あちらとこちら』を分けたがります。けっして他人事ではありませんし『ヘイト』という勢力も現実に存在します。

紛争では『ルワンダホテル』という傑作映画がありますが、ひとたび紛争が起これば軍がなければ虐殺や鎮圧が出来ません。地域紛争はどこの国にでも起こりうる事象である事を肝に銘じたいものです。