カラン

アイダよ、何処へ?のカランのレビュー・感想・評価

アイダよ、何処へ?(2020年製作の映画)
4.5
東南ヨーロッパと呼ばれる地域。アドリア海を挟んでイタリアの東側。トルコの海峡で割られているイスタンブールの西側。様々な民族と宗教が混ざりあうバルカン半島はヨーロッパの火薬庫と呼ばれて、第I次世界大戦のきっかけの1つでもあるオーストリア大公の暗殺に至るサラエヴォ事件も起こった。本作『アイダよ、何処へ?』で問題になるのは、1991年頃から2000年を跨いで続いたユーゴスラビア紛争である。バルカンに始まり、バルカンに終わるのが20世紀の血糊の歴史である。ユーゴスラビア紛争というのは総体のことで、戦火はスロベニア、クロアチアと次々に飛び火した。本作は、1992年頃に始まるボスニア紛争の終わり頃を描いている。


ヤスミラ・ジュバニッチ監督は1974年生まれの女性で、バルカニゼーションの大量虐殺と民族浄化の爆風に拭かれまくったボスニアの人々の涙の顛末を描く映画監督。

2006年作の『サラエボの花』を観て、初めて民族浄化の具体的な結果について考えさせられることになった。2010年の『サラエボ、希望の街角』では、1作目の役者が出演していることに不思議な親近感を抱いたものだった。なにしろ、生き延びるということがあまりに大変な社会なのだということを、彼女の映画ははっきりと伝えているのだから、映画に出ているというのは生存の証拠となるのである。。。

こう書いてはみたが、2作目はレビューを書かなかったからか、悲しいことにほとんど忘れてしまった。この3作目に、前作のキャストが出ていたのかはまったく分からない。もう顔を覚えていない。こういう記憶の風化に抗うために映画を撮っているのかもしれない、ジュバニッチさんは。

2020年の本作『アイダよ、何処へ?』は、1995年のスレブレニツァの虐殺をめぐる。雑に映画をまとめると、セルビア人とボシュニャク人の対立をPKOのオランダ軍が調停できずに、むしろ事態を傍観し幇助する状況ができあがってしまい、ボシュニャク人に対するジェノサイドが行われた結果、8000名ほどが虐殺されることになった事件である。なお、ボシュニャク人は、この映画の中ではセルビア人から「ムスリム」と呼ばれている。

前2作は、紛争の表面的な終決以後の話しで、弾が心の中で飛び交うことはあっても、物理的空間を飛び交ってはいない状況のドラマであった。つまり、当事者にとってはそうならないかもしれないが、部外者にとっては「戦後」であり、終わったことなのである。

本作は冒頭、父と兄と弟が、アイダを、彼女は国連軍とボシュニャク人たちとの通訳をしている、一心に見つめるシーンをカットすると、凄まじいキャタピラの音と粉塵を巻き上げて全てを踏み潰しながら進行する戦車の描写に繋げるのである。この戦車の音は、『アメリカンスナイパー』(2014)に近い。つまり、作った音というよりも、録った音、そういう意味で素朴で自然な音。『アメリカンスナイパー』も、例えば射撃する場面の切り返しに合わせるなど、エンジニアリングはしっかりしているが、古典的なリアリズムの立場でいくとそう聞こえることはないだろう音を、例えば『ゼロダークサーティ』(2012)のように、心的リアリティに訴える、きつく、激しい音を加工して作り出したりはしない。たしかに、びっくりするのは後者である。が、そうした音には環境がない。音が生まれる場が不在なのである。そうであるならば、ある種の映画はその世界を表現する映画言語に障害を抱えるだろう。(音を聴き分けたりする真似はごく普通の鑑賞者の耳に出来るだろうか?できる、と思う。映画をよく観ながら、映画が100年超を経るなかで進歩を繰り返したように、自分の精神とシステムを進歩させるならば。)

ヤスミラ・ジュバニッチ監督は『サラエボの花』とも、『サラエボ、希望の街角』とも違う映画を撮るべく既に進歩を遂げていたのである。セルビア人の解放軍、殺戮部隊だ、がやってきて、ボシュニャク人たちは、家を出て、方々へ逃げていく。ある者は森へ。大勢はオランダ軍が駐屯する国連軍の基地へと押し寄せる。基地の収容能力を超える数で、人々は排泄もままならず、妊婦が悲鳴をあげる。手持ちカメラは圧倒的な混乱の中をかいくぐってアイダを追う。様々な用件がアイダにまとわりつくが、アイダの家族が人の群れの中にいない。夫と息子2人。基地の遮断機の向こうにはさらに大勢の人が集まっているという。外に出て、塀に登ると、森のはずれの広大な平原をとらえたロングショットを埋め尽くす信じられない数の人間が映る。半分くらいなのだろうか、男たちは死ぬ。

8000人に及ぶ虐殺がどのように起こったのかを描く。最後は前2作のように、「戦後」。アイダは国連軍に協力して通訳であったが、戦争が終わったら夫と同様に教師に戻りたかったという。子供たちがステージでお遊戯。《いないいないばあっ》は存在と不在の反復のリズムを身につけるための学習だ。父母席にはセルビア人部隊の男が。夫や息子や隣人たちを殺戮した者たちの子供に勉強を教えるのがアイダの現在の仕事なのである。



火種は残る。




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